「古藤さんは」
 「たまにおたよりをくださいます」
 「あなた方《がた》も上げるの」
 「えゝたまに」
 「新聞の事を何かいって来たかい」
 「なんにも」
 「ここの番地は知らせて上げて」
 「いゝえ」
 「なぜ」
 「おねえ様の御迷惑になりはしないかと思って」
 この小娘はもうみんな知っている、と葉子は一種のおそれと警戒とをもって考えた。何事も心得ながら白々《しらじら》しく無邪気を装っているらしいこの妹が敵の間諜《かんちょう》のようにも思えた。
 「今夜はもうお休み。疲れたでしょう」
 葉子は冷然として、灯《ひ》の下にうつむいてきちん[#「きちん」に傍点]とすわっている妹を尻目《しりめ》にかけた。愛子はしとやかに頭を下げて従順に座を立って行った。
 その夜十一時ごろ倉地が下宿のほうから通《かよ》って来た。裏庭をぐるっと回って、毎夜戸じまりをせずにおく張り出しの六畳の間《ま》から上がって来る音が、じれながら鉄びんの湯気《ゆげ》を見ている葉子の神経にすぐ通じた。葉子はすぐ立ち上がって猫《ねこ》のように足音を盗みながら急いでそっちに行った。ちょうど敷居を上がろうとしていた倉地は暗い中
前へ 次へ
全465ページ中130ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング