った。仰向けになって、寒からぬ程度に暖まった空気の中に両手を二の腕までむき出しにして、軟らかい髪の毛に快い触覚を感じながら、何を思うともなく天井の木目《もくめ》を見やっているのも、珍しい事のように快かった。
 やや小半時《こはんとき》もそうしたままでいると、帳場でぼんぼん時計が九時を打った。三階にいるのだけれどもその音はほがらかにかわいた空気を伝って葉子の部屋《へや》まで響いて来た。と、倉地がいきなり[#「いきなり」に傍点]夜具をはねのけて床の上に上体を立てて目をこすった。
 「九時だな今打ったのは」
 と陸で聞くとおかしいほど大きな塩がれ声でいった。どれほど熟睡していても、時間には鋭敏な船員らしい倉地の様子がなんの事はなく葉子をほほえました。
 倉地が立つと、葉子も床を出た。そしてそのへんを片づけたり、煙草《たばこ》を吸ったりしている間に(葉子は船の中で煙草を吸う事を覚えてしまったのだった)倉地は手早く顔を洗って部屋《へや》に帰って来た。そして制服に着かえ始めた。葉子はいそいそとそれを手伝った。倉地特有な西洋|風《ふう》に甘ったるいような一種のにおいがそのからだにも服にもまつわってい
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