ばかしゅうござんすわ。報正新報社にならわたし御懇意の方も二人《ふたり》や三人はいらっしゃるから、なんならわたしからそれとなくお話ししてみてもようございますわ。わたしはまたお二人とも今まであんまり平気でいらっしゃるんで、もうなんとかお話がついたのだとばかり思ってましたの」
 と女将は怜《さか》しそうな目に真味な色を見せてこういった。倉地は無頓着《むとんじゃく》に「そうさな」といったきりだったが、葉子は二人《ふたり》の意見がほぼ一致したらしいのを見ると、いくら女将《おかみ》が巧みに立ち回ってもそれをもみ消す事はできないといい出した。なぜといえばそれは田川夫人が何か葉子を深く意趣に思ってさせた事で、「報正新報」にそれが現われたわけは、その新聞が田川博士の機関新聞だからだと説明した。倉地は田川と新聞との関係を始めて知ったらしい様子で意外な顔つきをした。
 「おれはまた興録《こうろく》のやつ……あいつはべらべらしたやつで、右左のはっきり[#「はっきり」に傍点]しない油断のならぬ男だから、あいつの仕事かとも思ってみたが、なるほどそれにしては記事の出かたが少し早すぎるて」
 そういってやおら立ち上がりながら次の間に着かえに行った。
 女中が膳部《ぜんぶ》を片づけ終わらぬうちに古藤が来たという案内があった。
 葉子はちょっと当惑した。あつらえておいた衣類がまだできないのと、着具合がよくって、倉地からもしっくり[#「しっくり」に傍点]似合うとほめられるので、その朝も芸者のちょいちょい着《ぎ》らしい、黒繻子《くろじゅす》の襟《えり》の着いた、伝法《でんぽう》な棒縞《ぼうじま》の身幅《みはば》の狭い着物に、黒繻子と水色|匹田《ひった》の昼夜帯《ちゅうやおび》をしめて、どてら[#「どてら」に傍点]を引っかけていたばかりでなく、髪までやはり櫛巻《くしま》きにしていたのだった。えゝ、いい構うものか、どうせ鼻をあかさせるならのっけ[#「のっけ」に傍点]からあかさせてやろう、そう思って葉子はそのままの姿で古藤を待ち構えた。
 昔のままの姿で、古藤は旅館というよりも料理屋といったふうの家の様子に少し鼻じろみながらはいって来た。そうして飛び離れて風体《ふうてい》の変わった葉子を見ると、なおさら勝手が違って、これがあの葉子なのかというように、驚きの色を隠し立てもせずに顔に現わしながら、じっ[#「じっ」に
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