が晴れたと見えて、いかにも屈託なくなって見えた。二人は停車場の付近にある或《あ》る小ぎれいな旅館を兼ねた料理屋で中食《ちゅうじき》をしたためた。日朝《にっちょう》様ともどんぶく[#「どんぶく」に傍点]様ともいう寺の屋根が庭先に見えて、そこから眼病の祈祷《きとう》だという団扇《うちわ》太鼓の音がどんぶく[#「どんぶく」に傍点]どんぶくと単調に聞こえるような所だった。東のほうはその名さながらの屏風山《びょうぶやま》が若葉で花よりも美しく装われて霞《かす》んでいた。短く美しく刈り込まれた芝生《しばふ》の芝はまだ萌《も》えていなかったが、所まばらに立ち連なった小松は緑をふきかけて、八重《やえ》桜はのぼせたように花でうなだれていた。もう袷《あわせ》一枚になって、そこに食べ物を運んで来る女中は襟前《えりまえ》をくつろげながら夏が来たようだといって笑ったりした。
 「ここはいいわ。きょうはここで宿《とま》りましょう」
 葉子は計画から計画で頭をいっぱいにしていた。そしてそこに用《い》らないものを預けて、江《え》の島《しま》のほうまで車を走らした。
 帰りには極楽寺《ごくらくじ》坂の下で二人とも車を捨てて海岸に出た。もう日は稲村《いなむら》が崎《さき》のほうに傾いて砂浜はやや暮れ初《そ》めていた。小坪《こつぼ》の鼻の崕《がけ》の上に若葉に包まれてたった一軒建てられた西洋人の白ペンキ塗りの別荘が、夕日を受けて緑色に染めたコケットの、髪の中のダイヤモンドのように輝いていた。その崕《がけ》下の民家からは炊煙が夕靄《ゆうもや》と一緒になって海のほうにたなびいていた。波打ちぎわの砂はいいほどに湿って葉子の吾妻下駄《あづまげた》の歯を吸った。二人《ふたり》は別荘から散歩に出て来たらしい幾組かの上品な男女の群れと出あったが、葉子は自分の容貌《ようぼう》なり服装なりが、そのどの群れのどの人にも立ちまさっているのを意識して、軽い誇りと落ち付きを感じていた。倉地もそういう女を自分の伴侶《はんりょ》とするのをあながち無頓着《むとんじゃく》には思わぬらしかった。
 「だれかひょん[#「ひょん」に傍点]な人にあうだろうと思っていましたがうまくだれにもあわなかってね。向こうの小坪の人家の見える所まで行きましょうね。そうして光明寺《こうみょうじ》の桜を見て帰りましょう。そうするとちょうどお腹《なか》がいい空《す
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