》き具合になるわ」
 倉地はなんとも答えなかったが、無論承知でいるらしかった。葉子はふと海のほうを見て倉地にまた口をきった。
 「あれは海ね」
 「仰せのとおり」
 倉地は葉子が時々|途轍《とてつ》もなくわかりきった事を少女みたいな無邪気さでいう、またそれが始まったというように渋そうな笑いを片頬《かたほ》に浮かべて見せた。
 「わたしもう一度あのまっただなかに乗り出してみたい」
 「してどうするのだい」
 倉地もさすが長かった海の上の生活を遠く思いやるような顔をしながらいった。
 「ただ乗り出してみたいの。どーっと見さかいもなく吹きまく風の中を、大波に思い存分揺られながら、ひっくりかえりそうになっては立て直って切り抜けて行くあの船の上の事を思うと、胸がどきどきするほどもう一度乗ってみたくなりますわ。こんな所いやねえ、住んでみると」
 そういって葉子はパラソルを開いたまま柄《え》の先で白い砂をざくざくと刺し通した。
 「あの寒い晩の事、わたしが甲板《かんぱん》の上で考え込んでいた時、あなたが灯《ひ》をぶら下げて岡さんを連れて、やっていらしったあの時の事などをわたしはわけもなく思い出しますわ。あの時わたしは海でなければ聞けないような音楽を聞いていましたわ。陸《おか》の上にはあんな音楽は聞こうといったってありゃしない。おーい、おーい、おい、おい、おい、おーい……あれは何?」
 「なんだそれは」
 倉地は怪訝《けげん》な顔をして葉子を振り返った。
 「あの声」
 「どの」
 「海の声……人を呼ぶような……お互いで呼び合うような」
 「なんにも聞こえやせんじゃないか」
 「その時聞いたのよ……こんな浅い所では何が聞こえますものか」
 「おれは長年海の上で暮らしたが、そんな声は一度だって聞いた事はないわ」
 「そうお。不思議ね。音楽の耳のない人には聞こえないのかしら。……確かに聞こえましたよ、あの晩に……それは気味の悪いような物すごいような……いわばね、一緒になるべきはずなのに一緒になれなかった……その人たちが幾億万と海の底に集まっていて、銘々死にかけたような低い音で、おーい、おーいと呼び立てる、それが一緒になってあんなぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]した大きな声になるかと思うようなそんな気味の悪い声なの……どこかで今でもその声が聞こえるようよ」
 「木村がやっているのだろう」
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