そのほうを向かずに、目を畳の上に伏せてじっ[#「じっ」に傍点]と千里も離れた事でも考えている様子だった。
 「わたしの意気地《いくじ》のないのが何よりもいけないんです。親類の者たちはなんといってもわたしを実業の方面に入れて父の事業を嗣《つ》がせようとするんです。それはたぶんほんとうにいい事なんでしょう。けれどもわたしにはどうしてもそういう事がわからないから困ります。少しでもわかれば、どうせこんなに病身で何もできませんから、母はじめみんなのいうことをききたいんですけれども……わたしは時々|乞食《こじき》にでもなってしまいたいような気がします。みんなの主人思いな目で見つめられていると、わたしはみんなに済まなくなって、なぜ自分みたいな屑《くず》な人間を惜しんでいてくれるのだろうとよくそう思います……こんな事今までだれにもいいはしませんけれども。突然日本に帰って来たりなぞしてからわたしは内々監視までされるようになりました。……わたしのような家に生まれると友だちというものは一人《ひとり》もできませんし、みんなとは表面だけで物をいっていなければならないんですから……心がさびしくってしかたがありません」
 そういって岡はすがるように葉子を見やった。岡が少し震えを帯びた、よごれっ気《け》の塵《ちり》ほどもない声の調子を落としてしんみり[#「しんみり」に傍点]と物をいう様子にはおのずからな気高《けだか》いさびしみがあった。戸障子をきしませながら雪を吹きまく戸外の荒々しい自然の姿に比べてはことさらそれが目立った。葉子には岡のような消極的な心持ちは少しもわからなかった。しかしあれでいて、米国くんだり[#「くんだり」に傍点]から乗って行った船で帰って来る所なぞには、粘り強い意力が潜んでいるようにも思えた。平凡な青年ならできてもできなくとも周囲のものにおだてあげられれば疑いもせずに父の遺業を嗣《つ》ぐまねをして喜んでいるだろう。それがどうしてもできないという所にもどこか違った所があるのではないか。葉子はそう思うと何の理解もなくこの青年を取り巻いてただわいわい騒ぎ立てている人たちがばかばかしくも見えた。それにしてもなぜもっとはき[#「はき」に傍点]はきとそんな下らない障害ぐらい打ち破ってしまわないのだろう。自分ならその財産を使ってから、「こうすればいいのかい」とでもいって、まわりで世話を焼いた
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