ちゃん」に傍点]と筋目が立っていた。葉子には愛子の沈んだような態度がすっかり[#「すっかり」に傍点]読めた。葉子の憤怒は見る見るその血相を変えさせた。田川夫人という人はどこまで自分に対して執念を寄せようとするのだろう。それにしても夫人の友だちには五十川《いそがわ》という人もあるはずだ。もし五十川のおばさんがほんとうに自分の改悛《かいしゅん》を望んでいてくれるなら、その記事の中止なり訂正なりを、夫《おっと》田川の手を経てさせる事はできるはずなのだ。田島さんもなんとかしてくれようがありそうなものだ。そんな事を妹たちにいうくらいならなぜ自分に一言《ひとこと》忠告でもしてはくれないのだ(ここで葉子は帰朝以来妹たちを預かってもらった礼をしに行っていなかった自分を顧みた。しかし事情がそれを許さないのだろうぐらいは察してくれてもよさそうなものだと思った)それほど自分はもう世間から見くびられ除《の》け者にされているのだ。葉子は何かたたきつけるものでもあれば、そして世間というものが何か形を備えたものであれば、力の限り得物《えもの》をたたきつけてやりたかった。葉子は小刻みに震えながら、言葉だけはしとやかに、
「古藤さんは」
「たまにおたよりをくださいます」
「あなた方《がた》も上げるの」
「えゝたまに」
「新聞の事を何かいって来たかい」
「なんにも」
「ここの番地は知らせて上げて」
「いゝえ」
「なぜ」
「おねえ様の御迷惑になりはしないかと思って」
この小娘はもうみんな知っている、と葉子は一種のおそれと警戒とをもって考えた。何事も心得ながら白々《しらじら》しく無邪気を装っているらしいこの妹が敵の間諜《かんちょう》のようにも思えた。
「今夜はもうお休み。疲れたでしょう」
葉子は冷然として、灯《ひ》の下にうつむいてきちん[#「きちん」に傍点]とすわっている妹を尻目《しりめ》にかけた。愛子はしとやかに頭を下げて従順に座を立って行った。
その夜十一時ごろ倉地が下宿のほうから通《かよ》って来た。裏庭をぐるっと回って、毎夜戸じまりをせずにおく張り出しの六畳の間《ま》から上がって来る音が、じれながら鉄びんの湯気《ゆげ》を見ている葉子の神経にすぐ通じた。葉子はすぐ立ち上がって猫《ねこ》のように足音を盗みながら急いでそっちに行った。ちょうど敷居を上がろうとしていた倉地は暗い中
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