せた)……あの方が今木村さんに成りかわってわたしの世話を見ていてくださるのよ。木村さんからお頼まれになったものだから、迷惑そうにもなく、こんないい家まで見つけてくださったの。木村さんは米国でいろいろ事業を企てていらっしゃるんだけれども、どうもお仕事がうまく行かないで、お金が注《つ》ぎ込みにばかりなっていて、とてもこっちには送ってくだされないの、わたしの家はあなたも知ってのとおりでしょう。どうしてもしばらくの間は御迷惑でも倉地さんに万事を見ていただかなければならないのだから、あなたもそのつもりでいてちょうだいよ。ちょく[#「ちょく」に傍点]ちょくここにも来てくださるからね。それにつけて世間では何かくだらないうわさをしているに違いないが、愛さんの塾《じゅく》なんかではなんにもお聞きではなかったかい」
 「いゝえ、わたしたちに面と向かって何かおっしゃる方《かた》は一人《ひとり》もありませんわ。でも」
 と愛子は例の多恨らしい美しい目を上目《うわめ》に使って葉子をぬすみ見るようにしながら、
 「でも何しろあんな新聞が出たもんですから」
 「どんな新聞?」
 「あらおねえ様御存じなしなの。報正新報に続き物でおねえ様とその倉地という方の事が長く出ていましたのよ」
 「へーえ」
 葉子は自分の無知にあきれるような声を出してしまった。それは実際思いもかけぬというよりは、ありそうな事ではあるが今の今まで知らずにいた、それに葉子はあきれたのだった。しかしそれは愛子の目に自分を非常に無辜《むこ》らしく見せただけの利益はあった。さすがの愛子も驚いたらしい目をして姉の驚いた顔を見やった。
 「いつ?」
 「今月の始めごろでしたかしらん。だもんですから皆さん方《がた》の間ではたいへんな評判らしいんですの。今度も塾《じゅく》を出て来年から姉の所から通いますと田島先生に申し上げたら、先生も家の親類たちに手紙やなんかでだいぶお聞き合わせになったようですのよ。そしてきょうわたしたちを自分のお部屋《へや》にお呼びになって『わたしはお前さん方《がた》を塾から出したくはないけれども、塾に居続ける気はないか』とおっしゃるのよ。でもわたしたちはなんだか塾にいるのが肩身が……どうしてもいやになったもんですから、無理にお願いして帰って来てしまいましたの」
 愛子はふだんの無口に似ずこういう事を話す時にはちゃん[#「
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