地を誘った。倉地は煙《けむ》ったい顔をしながら、それでもそのあとからついて来た。
 部屋はさすがに葉子のものであるだけ、どことなく女性的な軟《やわ》らか味を持っていた。東向きの腰高窓《こしだかまど》には、もう冬といっていい十一月末の日が熱のない強い光を射《い》つけて、アメリカから買って帰った上等の香水をふりかけた匂《にお》い玉《だま》からかすかながらきわめて上品な芳芬《ほうふん》を静かに部屋の中にまき散らしていた。葉子はその匂い玉の下がっている壁ぎわの柱の下に、自分にあてがわれたきらびやか[#「きらびやか」に傍点]な縮緬《ちりめん》の座ぶとんを移して、それに倉地をすわらせておいて、違《ちが》い棚《だな》から郵便の束をいくつとなく取りおろして来た。
 「さあけさは岩戸のすきから世の中をのぞいて見るのよ。それもおもしろいでしょう」
 といいながら倉地に寄り添った。倉地は幾十通とある郵便物を見たばかりでいいかげんげんなり[#「げんなり」に傍点]した様子だったが、だんだんと興味を催して来たらしく、日の順に一つの束からほどき始めた。
 いかにつまらない事務用の通信でも、交通|遮断《しゃだん》の孤島か、障壁で高く囲まれた美しい牢獄《ろうごく》に閉じこもっていたような二人に取っては予想以上の気散《きさん》じだった。倉地も葉子もありふれた文句にまで思い存分の批評を加えた。こういう時の葉子はそのほとばしるような暖かい才気のために世にすぐれておもしろ味の多い女になった。口をついて出る言葉言葉がどれもこれも絢爛《けんらん》な色彩に包まれていた。二日目の所には岡《おか》から来た手紙が現われ出た。船の中での礼を述べて、とうとう葉子と同じ船で帰って来てしまったために、家元《いえもと》では相変わらずの薄志弱行と人|毎《ごと》に思われるのが彼を深く責める事や、葉子に手紙を出したいと思ってあらゆる手がかりを尋ねたけれども、どうしてもわからないので会社で聞き合わせて事務長の住所を知り得たからこの手紙を出すという事や、自分はただただ葉子を姉と思って尊敬もし慕いもしているのだから、せめてその心を通わすだけの自由が与えてもらいたいという事だのが、思い入った調子で、下手《へた》な字体で書いてあった。葉子は忘却《ぼうきゃく》の廃址《はいし》の中から、生々《なまなま》とした少年の大理石像を掘りあてた人のようにおも
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