暑いからどこぞでお休みなさいましね。……なるたけ早く帰って来てくださいまし。もしかして、病気でも悪くなると、こんな所で心細うござんすから……よくって」
古藤は何か平凡な返事をして、縁板を踏みならしながら出て行ってしまった。
朝のうちだけからっ[#「からっ」に傍点]と破ったように晴れ渡っていた空は、午後から曇り始めて、まっ白な雲が太陽の面をなでて通るたびごとに暑気は薄れて、空いちめんが灰色にかき曇るころには、膚寒く思うほどに初秋の気候は激変していた。時雨《しぐれ》らしく照ったり降ったりしていた雨の脚《あし》も、やがてじめじめと降り続いて、煮しめたようなきたない部屋《へや》の中は、ことさら湿《しと》りが強く来るように思えた。葉子は居留地のほうにある外国人相手の洋服屋や小間物屋などを呼び寄せて、思いきったぜいたくな買い物をした。買い物をして見ると葉子は自分の財布《さいふ》のすぐ貧しくなって行くのを怖《おそ》れないではいられなかった。葉子の父は日本橋ではひとかどの門戸《もんこ》を張った医師で、収入も相当にはあったけれども、理財の道に全く暗いのと、妻の親佐《おやさ》が婦人同盟の事業にばかり奔
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