。この部屋をこのままで出て行くのは死ぬよりもつらい事だった。どうしてもはっきり[#「はっきり」に傍点]と事務長の心を握るまでは……葉子は自分の心の矛盾に業《ごう》を煮やしながら、自分をさげすみ果てたような絶望的な怒りの色を口びるのあたりに宿して、黙ったままA鬱《いんうつ》に立っていた。今までそわそわと小魔《しょうま》のように葉子の心をめぐりおどっていたはなやかな喜び――それはどこに行ってしまったのだろう。
事務長はそれに気づいたのか気がつかないのか、やがてよりかかりのないまるい事務いすに尻《しり》をすえて、子供のような罪のない顔をしながら、葉子を見て軽く笑っていた。葉子はその顔を見て、恐ろしい大胆な悪事を赤児《あかご》同様の無邪気さで犯しうる質《たち》の男だと思った。葉子はこんな無自覚な状態にはとてもなっていられなかった。一足ずつ先《さき》を越されているのかしらんという不安までが心の平衡をさらに狂わした。
「田川博士は馬鹿《ばか》ばかで、田川の奥さんは利口ばかというんだ。はゝゝゝゝ」
そういって笑って、事務長は膝《ひざ》がしらをはっし[#「はっし」に傍点]と打った手をかえして、机
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