ろい》をぬぐい終わると、口びるを開いて美しくそろった歯並みをながめ、両方の手の指を壺《つぼ》の口のように一所《ひとところ》に集めて爪《つめ》の掃除《そうじ》が行き届いているか確かめた。見返ると船に乗る時着て来た単衣《ひとえ》のじみな着物は、世捨て人のようにだらり[#「だらり」に傍点]と寂しく部屋《へや》のすみの帽子かけにかかったままになっていた。葉子は派手《はで》な袷《あわせ》をトランクの中から取り出して寝衣《ねまき》と着かえながら、それに目をやると、肩にしっかり[#「しっかり」に傍点]としがみ付いて、泣きおめいた彼《か》の狂気じみた若者の事を思った。と、すぐそのそばから若者を小わきにかかえた事務長の姿が思い出された。小雨の中を、外套《がいとう》も着ずに、小荷物でも運んで行ったように若者を桟橋の上におろして、ちょっと五十川《いそがわ》女史に挨拶《あいさつ》して船から投げた綱にすがるや否や、静かに岸から離れてゆく船の甲板の上に軽々と上がって来たその姿が、葉子の心をくすぐるように楽しませて思い出された。
夜はいつのまにか明け離れていた。眼窓《めまど》の外は元のままに灰色はしているが、活々
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