子は身動きもせずに目にその灰色をながめながら、かみしめるように船の動揺を味わって見た。遠く遠く来たという旅情が、さすがにしみじみと感ぜられた。しかし葉子の目には女らしい涙は浮かばなかった。活気のずんずん回復しつつあった彼女には何かパセティックな夢でも見ているような思いをさせた。
葉子はそうしたままで、過ぐる二日の間暇にまかせて思い続けた自分の過去を夢のように繰り返していた。連絡のない終わりのない絵巻がつぎつぎに広げられたり巻かれたりした。キリストを恋い恋うて、夜も昼もやみがたく、十字架を編み込んだ美しい帯を作って献《ささ》げようと一心に、日課も何もそっちのけにして、指の先がささくれるまで編み針を動かした可憐《かれん》な少女も、その幻想の中に現われ出た。寄宿舎の二階の窓近く大きな花を豊かに開いた木蘭《もくらん》の香《にお》いまでがそこいらに漂っているようだった。国分寺《こくぶんじ》跡の、武蔵野《むさしの》の一角らしい櫟《くぬぎ》の林も現われた。すっかり少女のような無邪気な素直《すなお》な心になってしまって、孤※[#「※」は「たけかんむりにエにふしづくり」、98−1]《こきょう》の膝《ひ
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