「どこにおいでです」
 後ろから、葉子の頭から爪先《つまさき》までを小さなものででもあるように、一目に籠《こ》めて見やりながら、その船員はこう尋ねた。葉子は、
 「船室まで参りますの」
 と答えないわけには行かなかった。その声は葉子の目論見《もくろみ》に反して恐ろしくしとやかな響きを立てていた。するとその男は大股《おおまた》で葉子とすれすれになるまで近づいて来て、
 「船室《カビン》ならば永田《ながた》さんからのお話もありましたし、おひとり旅のようでしたから、医務室のわきに移しておきました。御覧になった前の部屋《へや》より少し窮屈かもしれませんが、何かに御便利ですよ。御案内しましょう」
 といいながら葉子をすり抜けて先に立った。何か芳醇《ほうじゅん》な酒のしみ[#「しみ」に傍点]と葉巻煙草《シガー》とのにおいが、この男固有の膚のにおいででもあるように強く葉子の鼻をかすめた。葉子は、どしん[#「どしん」に傍点]どしんと狭い階子段《はしごだん》を踏みしめながら降りて行くその男の太い首から広い肩のあたりをじっ[#「じっ」に傍点]と見やりながらそのあとに続いた。
 二十四五脚の椅子《いす》
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