めてばかりいた。そんな痛々しい様子がその時まざまざと葉子の目の前にちらついたのだ。一人《ひとり》ぽっちで遠い旅に鹿島立《かしまだ》って行く自分というものがあじきなくも思いやられた。そんな心持ちになると忙《せわ》しい間にも葉子はふと田川のほうを振り向いて見た。中学校の制服を着た二人の少年と、髪をお下げにして、帯をおはさみ[#「おはさみ」に傍点]にしめた少女とが、田川と夫人との間にからまってちょうど告別をしているところだった。付き添いの守《も》りの女が少女を抱き上げて、田川夫人の口びるをその額に受けさしていた。葉子はそんな場面を見せつけられると、他人事《ひとごと》ながら自分が皮肉でむちうたれるように思った。竜《りゅう》をも化して牝豚《めぶた》にするのは母となる事だ。今の今まで焼くように定子の事を思っていた葉子は、田川夫人に対してすっかり反対の事を考えた。葉子はそのいまいましい光景から目を移して舷梯《げんてい》のほうを見た。しかしそこにはもう乳母の姿も古藤の影もなかった。
 たちまち船首のほうからけたたましい銅鑼《どら》の音が響き始めた。船の上下は最後のどよめきに揺らぐように見えた。長い綱を
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