行ってしまった。最後に物おじする様子の乳母《うば》が葉子の前に来て腰をかがめた。葉子はとうとう行き詰まる所まで来たような思いをしながら、振り返って古藤を見ると、古藤は依然として手欄《てすり》に身を寄せたまま、気抜けでもしたように、目を据えて自分の二三|間《げん》先をぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]ながめていた。
「義一さん、船の出るのも間《ま》が無さそうですからどうか此女《これ》……わたしの乳母ですの……の手を引いておろしてやってくださいましな。すべりでもすると怖《こお》うござんすから」
と葉子にいわれて古藤は始めてわれに返った。そしてひとり言《ごと》のように、
「この船で僕もアメリカに行って見たいなあ」
とのんきな事をいった。
「どうか桟橋まで見てやってくださいましね。あなたもそのうちぜひいらっしゃいましな……義一さんそれではこれでお別れ。ほんとうに、ほんとうに」
といいながら葉子はなんとなく親しみをいちばん深くこの青年に感じて、大きな目で古藤をじっと見た。古藤も今さらのように葉子をじっと見た。
「お礼の申しようもありません。この上のお願いです。どうぞ妹たちを見てやって
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