]こつとたたいて、うつむいてそれをながめながら、帯の間に手をさし込んで、木村への伝言を古藤はひとり言《ごと》のように葉子にいった。葉子はそれに耳を傾けるような様子はしていたけれども、ほんとうはさして注意もせずに、ちょうど自分の目の前に、たくさんの見送り人に囲まれて、応接に暇《いとま》もなげな田川法学|博士《はかせ》の目じりの下がった顔と、その夫人のやせぎすな肩との描く微細な感情の表現を、批評家のような心で鋭くながめやっていた。かなり広いプロメネード・デッキは田川家の家族と見送り人とで縁日のようににぎわっていた。葉子の見送りに来たはずの五十川《いそがわ》女史は先刻から田川夫人のそばに付ききって、世話好きな、人のよい叔母《おば》さんというような態度で、見送り人の半分がたを自身で引き受けて挨拶《あいさつ》していた。葉子のほうへは見向こうとする模様もなかった。葉子の叔母は葉子から二三|間《げん》離れた所に、蜘蛛《くも》のような白痴の子を小婢《こおんな》に背負わして、自分は葉子から預かった手鞄《てかばん》と袱紗《ふくさ》包みとを取り落とさんばかりにぶら下げたまま、花々しい田川家の家族や見送り人の
前へ
次へ
全339ページ中107ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング