なごた[#「ごた」に傍点]ごたが家の内にあるもんですから、よけいむしゃくしゃ[#「むしゃくしゃ」に傍点]していて、ほんとうにわたしどうしたらいいかと思う事がありますの」
 意地も生地《きじ》も内田の強烈な性格のために存分に打ち砕かれた細君は、上品な顔立てに中世紀の尼にでも見るような思いあきらめた表情を浮かべて、捨て身の生活のどん底にひそむさびしい不足をほのめかした。自分より年下で、しかも良人《おっと》からさんざん悪評を投げられているはずの葉子に対してまで、すぐ心が砕けてしまって、張りのない言葉で同情を求めるかと思うと、葉子は自分の事のように歯がゆかった。眉《まゆ》と口とのあたりにむごたらしい軽蔑《けいべつ》の影が、まざまざと浮かび上がるのを感じながら、それをどうする事もできなかった。葉子は急に青味を増した顔で細君を見やったが、その顔は世故《せこ》に慣れきった三十女のようだった。(葉子は思うままに自分の年を五つも上にしたり下にしたりする不思議な力を持っていた。感情次第でその表情は役者の技巧のように変わった)
 「歯がゆくはいらっしゃらなくって」
 と切り返すように内田の細君の言葉をひったくって、
 「わたしだったらどうでしょう。すぐおじさんとけんかして出てしまいますわ。それはわたし、おじさんを偉い方《かた》だとは思っていますが、わたしこんなに生まれついたんですからどうしようもありませんわ。一から十までおっしゃる事をはい[#「はい」に傍点]はいと聞いていられませんわ。おじさんもあんまりでいらっしゃいますのね。あなたみたいな方に、そう笠《かさ》にかからずとも、わたしでもお相手になさればいいのに……でもあなたがいらっしゃればこそおじさんもああやってお仕事がおできになるんですのね。わたしだけは除《の》け物ですけれども、世の中はなかなかよくいっていますわ。……あ、それでもわたしはもう見放されてしまったんですものね、いう事はありゃしません。ほんとうにあなたがいらっしゃるのでおじさんはお仕合わせですわ。あなたは辛抱なさる方《かた》。おじさんはわがままでお通しになる方《かた》。もっともおじさんにはそれが神様の思《おぼ》し召《め》しなんでしょうけれどもね。……わたしも神様の思《おぼ》し召《め》しかなんかでわがままで通す女なんですからおじさんとはどうしても茶碗《ちゃわん》と茶碗ですわ。そ
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