ましてよ」
 といった。古藤は短兵急《たんぺいきゅう》に、
 「それにしてもなかなか元気ですね」
 とたたみかけた。
 「それはお薬にこれを少しいただいたからでしょうよ」
 と三鞭酒《シャンペン》を指さした。
 正面からはね返された古藤は黙ってしまった。しかし葉子も勢いに乗って追い迫るような事はしなかった。矢頃《やごろ》を計ってから語気をかえてずっ[#「ずっ」に傍点]と下手《したで》になって、
 「妙にお思いになったでしょうね。わるうございましてね。こんな所に来ていて、お酒なんか飲むのはほんとうに悪いと思ったんですけれども、気分がふさいで来ると、わたしにはこれよりほかにお薬はないんですもの。さっきのように苦しくなって来ると私はいつでも湯を熱めにして浴《はい》ってから、お酒を飲み過ぎるくらい飲んで寝るんですの。そうすると」
 といって、ちょっといいよどんで見せて、
 「十分か二十分ぐっすり[#「ぐっすり」に傍点]寝入るんですのよ……痛みも何も忘れてしまっていい心持ちに……。それから急に頭がかっ[#「かっ」に傍点]と痛んで来ますの。そしてそれと一緒に気がめいり出して、もうもうどうしていいかわからなくなって、子供のように泣きつづけると、そのうちにまた眠たくなって一寝入りしますのよ。そうするとそのあとはいくらかさっぱり[#「さっぱり」に傍点]するんです。……父や母が死んでしまってから、頼みもしないのに親類たちからよけいな世話をやかれたり、他人力《ひとぢから》なんぞをあてにせずに妹|二人《ふたり》を育てて行かなければならないと思ったりすると、わたしのような、他人様《ひとさま》と違って風変《ふうが》わりな、……そら、五本の骨でしょう」
 とさびしく笑った。
 「それですものどうぞ堪忍《かんにん》してちょうだい。思いきり泣きたい時でも知らん顔をして笑って通していると、こんなわたしみたいな気まぐれ者になるんです。気まぐれでもしなければ生きて行けなくなるんです。男のかたにはこの心持ちはおわかりにはならないかもしれないけれども」
 こういってるうちに葉子は、ふと木部との恋がはかなく破れた時の、われにもなく身にしみ渡るさびしみや、死ぬまで日陰者であらねばならぬ私生子の定子の事や、計らずもきょうまのあたり見た木部の、心《しん》からやつれた面影などを思い起こした。そしてさらに、母の死んだ夜、
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