まいこんだ。淋しい花嫁の身じたく[#「じたく」に傍点]は静かな夜の中に淋しく終った。その中《うち》に心は段々落着いて力を得て行った。こんなに泣かれてはいよいよ家を逃れ出る時にはどうしたらいいだろうと思った床の中の心配は無用になった。沈んではいるがしゃん[#「しゃん」に傍点]と張切った心持ちになって、クララは部屋の隅の聖像の前に跪《ひざまず》いて燭火《あかり》を捧げた。そして静かに身の来《こ》し方《かた》を返り見た。
 幼い時からクララにはいい現わし得ない不満足が心の底にあった。いらいらした気分はよく髪の結い方、衣服の着せ方に小言をいわせた。さんざん小言をいってから独りになると何んともいえない淋しさに襲われて、部屋の隅でただ一人半日も泣いていた記憶も甦《よみがえ》った。クララはそんな時には大好きな母の顔さえ見る事を嫌った。ましてや父の顔は野獣のように見えた。いまに誰れか来て私を助けてくれる。堂母《ドーモ》の壁画にあるような天国に連れて行ってくれるからいいとそう思った。色々な宗教画がある度に自分の行きたい所は何所《どこ》だろうと思いながら注意した。その中《うち》にクララの心の中には二つの世界が考えられるようになりだした。一つはアッシジの市民が、僧侶をさえこめて、上から下まで生活している世界だ。一つは市民らが信仰しているにせよ、いぬにせよ、敬意を捧げている基督《キリスト》及び諸聖徒の世界だ。クララは第一の世界に生い立って栄耀栄華《えいようえいが》を極むべき身分にあった。その世界に何故|渇仰《かつごう》の眼を向け出したか、クララ自身も分らなかったが、当時ペルジヤの町に対して勝利を得て独立と繁盛との誇りに賑やか立ったアッシジの辻《つじ》を、豪奢《ごうしゃ》の市民に立ち交りながら、「平和を求めよ而《しか》して永遠の平和あれ」と叫んで歩く名もない乞食の姿を彼女は何んとなく考え深く眺めないではいられなかった。やがて死んだのか宗旨|代《が》えをしたのか、その乞食は影を見せなくなって、市民は誰れ憚《はばか》らず思うさまの生活に耽《ふけ》っていたが、クララはどうしても父や父の友達などの送る生活に従って活《い》きようと思う心地《ここち》はなかった。その頃にフランシス――この間まで第一の生活の先頭に立って雄々しくも第二の世界に盾《たて》をついたフランシス――が百姓の服を着て、子供らに狂人と罵
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