という手筈《てはず》をフランシスから知らされていた僧正は、クララによそながら告別を与えるためにこの破格な処置をしたのだと気が付くと、クララはまた更らに涙のわき返るのをとどめ得なかった。クララの父母は僧正の言葉をフォルテブラッチョ家との縁談と取ったのだろう、笑《え》みかまけながら挨拶の辞儀をした。
 やがて百人の処女の喉《のど》から華々しい頌歌が起った。シオンの山の凱歌《がいか》を千年の後に反響さすような熱と喜びのこもった女声高音が内陣から堂内を震動さして響《ひび》き亘《わた》った。会衆は蠱惑《こわく》されて聞《き》き惚《ほ》れていた。底の底から清められ深められたクララの心は、露ばかりの愛のあらわれにも嵐のように感動した。花の間に顔を伏せて彼女は少女の歌声に揺られながら、無我の祈祷に浸り切った。

       ○

 「クララ……クララ」
 クララは眼をさましていたけれども返事をしなかった。幸に母のいる方には後ろ向けに、アグネスに寄り添って臥《ね》ていたから、そのまま息気《いき》を殺して黙っていた。母は二人ともよく寝たもんだというような事を、母らしい愛情に満ちた言葉でいって、何か衣裳らしいものを大椅子の上にそっくり置くと、忍び足に寝台に近よってしげしげと二人の寝姿を見守った。そして夜着をかけ添えて軽く二つ三つその上をたたいてから静かに部屋を出て行った。
 クララの枕はしぼるように涙に濡れていた。
 無月《むげつ》の春の夜は次第に更《ふ》けた。町の諸門をとじる合図の鐘は二時間も前に鳴ったので、コルソに集って売買に忙がしかった村の人々の声高《こわだか》な騒ぎも聞こえず、軒なみの店ももう仕舞《しま》って寝しずまったらしい。女猫《めねこ》を慕う男猫の思い入ったような啼声《なきごえ》が時折り聞こえる外《ほか》には、クララの部屋の時計の重子《おもり》が静かに下りて歯車をきしらせる音ばかりがした。山の上の春の空気はなごやかに静かに部屋に満ちて、堂母《ドーモ》から二人が持って帰った月桂樹と花束の香を隅々《すみずみ》まで籠《こ》めていた。
 クララは取りすがるように祈りに祈った。眼をあけると間近かにアグネスの眠った顔があった。クララを姉とも親とも慕う無邪気な、素直な、天使のように浄《きよ》らかなアグネス。クララがこの二、三日ややともすると眼に涙をためているのを見て、自分も一緒に涙ぐん
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