十分に考えようとした。しかし列車の中の沢山の人の顔はもう彼れの心を不安にした。彼れは敵意をふくんだ眼で一人一人|睨《ね》めつけた。
 函館の停車場に着くと彼はもうその建物の宏大もないのに胆《きも》をつぶしてしまった。不恰好《ぶかっこう》な二階建ての板家に過ぎないのだけれども、その一本の柱にも彼れは驚くべき費用を想像した。彼れはまた雪のかきのけてある広い往来を見て驚いた。しかし彼れの誇りはそんな事に敗けてはいまいとした。動《やや》ともするとおびえて胸の中ですくみそうになる心を励まし励まし彼れは巨人のように威丈高《いたけだか》にのそりのそりと道を歩いた。人々は振返って自然から今切り取ったばかりのようなこの男を見送った。
 やがて彼れは松川の屋敷に這入って行った。農場の事務所から想像していたのとは話にならないほどちがった宏大な邸宅だった。敷台を上る時に、彼れはつまご[#「つまご」に傍点]を脱いでから、我れにもなく手拭《てぬぐい》を腰から抜いて足の裏を綺麗《きれい》に押拭った。澄んだ水の表面の外《ほか》に、自然には決してない滑らかに光った板の間の上を、彼れは気味の悪い冷たさを感じながら、奥に案
前へ 次へ
全77ページ中69ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング