]にひびかせて行った。幾抱えもある椴松は羊歯《しだ》の中から真直に天を突いて、僅《わず》かに覗《のぞ》かれる空には昼月が少し光って見え隠れに眺められた。彼れは遂に馬力の上に酔い倒れた。物慣れた馬は凸凹の山道を上手に拾いながら歩いて行った。馬車はかしいだり跳ねたりした。その中で彼れは快い夢に入ったり、面白い現《うつつ》に出たりした。
仁右衛門はふと熟睡から破られて眼をさました。その眼にはすぐ川森|爺《じい》さんの真面目《まじめ》くさった一徹な顔が写った。仁右衛門の軽い気分にはその顔が如何《いか》にもおかしかったので、彼れは起き上りながら声を立てて笑おうとした。そして自分が馬力の上にいて自分の小屋の前に来ている事に気がついた。小屋の前には帳場も佐藤も組長の某もいた。それはこの小屋の前では見慣れない光景だった。川森は仁右衛門が眼を覚ましたのを見ると、
「早《はよ》う内さ行くべし。汝《われ》が嬰子《にが》はおっ死《ち》ぬべえぞ。赤痢さとッつかれただ」
といった。他愛のない夢から一足飛びにこの恐ろしい現実に呼びさまされた彼れの心は、最初に彼れの顔を高笑いにくずそうとしたが、すぐ次ぎの瞬間に、
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