《えもの》を持って畑に出た。自然に歯向う必死な争闘の幕は開かれた。
 鼻歌も歌わずに、汗を肥料のように畑の土に滴らしながら、農夫は腰を二つに折って地面に噛《かじ》り付いた。耕馬は首を下げられるだけ下げて、乾き切らない土の中に脚を深く踏みこみながら、絶えず尻尾《しりっぽ》で虻を追った。しゅっと音をたてて襲って来る毛の束にしたたか打れた虻は、血を吸って丸くなったまま、馬の腹からぽとりと地に落ちた。仰向《あおむ》けになって鋼線《はりがね》のような脚を伸したり縮めたりして藻掻《もが》く様《さま》は命の薄れるもののように見えた。暫《しばら》くするとしかしそれはまた器用に翅《はね》を使って起きかえった。そしてよろよろと草の葉裏に這いよった。そして十四、五分の後にはまた翅をはってうなりを立てながら、眼を射るような日の光の中に勇ましく飛び立って行った。
 夏物が皆無作というほどの不出来であるのに、亜麻だけは平年作位にはまわった。青《あお》天鵞絨《ビロード》の海となり、瑠璃色《るりいろ》の絨氈《じゅうたん》となり、荒くれた自然の中の姫君なる亜麻の畑はやがて小紋《こもん》のような果《み》をその繊細な茎の先
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