だった。十年目にはかなり広い農場を譲り受けていた。その時彼れは三十七だった。帽子を被って二重マントを着た、護謨《ゴム》長靴ばきの彼れの姿が、自分ながら小恥《こはずか》しいように想像された。
とうとう播種時《たねまきどき》が来た。山火事で焼けた熊笹《くまざさ》の葉が真黒にこげて奇跡の護符のように何所《どこ》からともなく降って来る播種時が来た。畑の上は急に活気だった。市街地にも種物商や肥料商が入込んで、たった一軒の曖昧屋《ごけや》からは夜ごとに三味線の遠音《とおね》が響くようになった。
仁右衛門は逞《たくま》しい馬に、磨《と》ぎすましたプラオをつけて、畑におりたった。耡き起される土壌は適度の湿気をもって、裏返るにつれてむせるような土の香を送った。それが仁右衛門の血にぐんぐんと力を送ってよこした。
凡《すべ》てが順当に行った。播いた種は伸《のび》をするようにずんずん生い育った。仁右衛門はあたり近所の小作人に対して二言目には喧嘩面《けんかづら》を見せたが六尺ゆたかの彼れに楯《たて》つくものは一人もなかった。佐藤なんぞは彼れの姿を見るとこそこそと姿を隠した。「それ『まだか』が来おったぞ」と
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