も愛想を見せれば大事《おおごと》になる。
 「まあ辛抱してやるがいい。ここの親方は函館《はこだて》の金持《まるも》ちで物の解《わか》った人だかんな」
 そういって小屋を出て行った。仁右衛門も戸外に出て帳場の元気そうな後姿を見送った。川森は財布から五十銭銀貨を出してそれを妻の手に渡した。何しろ帳場につけとどけをして置かないと万事に損が行くから今夜にも酒を買って挨拶に行くがいいし、プラオなら自分の所のものを借してやるといっていた。仁右衛門は川森の言葉を聞きながら帳場の姿を見守っていたが、やがてそれが佐藤の小屋に消えると、突然馬鹿らしいほど深い嫉妬《しっと》が頭を襲って来た。彼れはかっと喉《のど》をからして痰《たん》を地べたにいやというほどはきつけた。
 夫婦きりになると二人はまた別々になってせっせと働き出した。日が傾きはじめると寒さは一入《ひとしお》に募って来た。汗になった所々は氷るように冷たかった。仁右衛門はしかし元気だった。彼れの真闇《まっくら》な頭の中の一段高い所とも覚《おぼ》しいあたりに五十銭銀貨がまんまるく光って如何《どう》しても離れなかった。彼れは鍬を動かしながら眉をしかめてそ
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