上って、その間から真菰《まこも》が長く延びて出た。蝌斗《おたまじゃくし》が畑の中を泳ぎ廻ったりした。郭公《ほととぎす》が森の中で淋しく啼《な》いた。小豆《あずき》を板の上に遠くでころがすような雨の音が朝から晩まで聞えて、それが小休《おや》むと湿気を含んだ風が木でも草でも萎《しぼ》ましそうに寒く吹いた。
ある日農場主が函館《はこだて》から来て集会所で寄合うという知らせが組長から廻って来た。仁右衛門はそんな事には頓着《とんじゃく》なく朝から馬力《ばりき》をひいて市街地に出た。運送店の前にはもう二台の馬力があって、脚をつまだてるようにしょんぼり[#「しょんぼり」に傍点]と立つ輓馬《ひきうま》の鬣《たてがみ》は、幾本かの鞭《むち》を下げたように雨によれて、その先きから水滴が絶えず落ちていた。馬の背からは水蒸気が立昇った。戸を開けて中に這入《はい》ると馬車追いを内職にする若い農夫が三人土間に焚火《たきび》をしてあたっていた。馬車追いをする位の農夫は農夫の中でも冒険的な気の荒い手合だった。彼らは顔にあたる焚火のほてりを手や足を挙げて防ぎながら、長雨につけこんで村に這入って来た博徒《ばくと》の群の噂をしていた。捲《ま》き上《あ》げようとして這入り込みながら散々手を焼いて駅亭から追い立てられているような事もいった。
「お前も一番乗って儲《もう》かれや」
とその中の一人は仁右衛門をけしかけた。店の中はどんよりと暗く湿っていた。仁右衛門は暗い顔をして唾《つば》をはき捨てながら、焚火の座に割り込んで黙っていた。ぴしゃぴしゃと気疎《けうと》い草鞋《わらじ》の音を立てて、往来を通る者がたまさかにあるばかりで、この季節の賑《にぎわ》い立《だ》った様子は何処《どこ》にも見られなかった。帳場の若いものは筆を持った手を頬杖《ほおづえ》にして居眠っていた。こうして彼らは荷の来るのをぼんやりして二時間あまりも待ち暮した。聞くに堪えないような若者どもの馬鹿話も自然と陰気な気分に押えつけられて、動《やや》ともすると、沈黙と欠伸《あくび》が拡がった。
「一はたりはたらずに」
突然仁右衛門がそういって一座を見廻した。彼れはその珍らしい無邪気な微笑をほほえんでいた。一同は彼れのにこやかな顔を見ると、吸い寄せられるようになって、いう事をきかないではいられなかった。蓆《むしろ》が持ち出された。四人は車座《くる
前へ
次へ
全39ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング