ちやく》として鉄拳制裁や蒲団蒸しの席につらなることが出来た。一番にも二番にも何より私は佐伯の鼻意気を窺《うかゞ》ひ、気に入るやう細心に骨折つてゐた。
或日、定例の袋敲《ふくろだゝ》きの制裁の席上、禿《はげ》と綽名《あだな》のある生意気な新入生の横づらを佐伯が一つ喰はすと、かれはしく/\泣いて廊下に出たが、丁度、寮長や舎監やの見張番役を仰付《おほせつ》かつて扉の外に立つてゐた私は、かれが後頭部の皿《さら》をふせたやうな円形の禿《はげ》をこちらに見せて、ずんずん舎監室のはうへ歩いて行つたのを見届け、確かに密告したことを直観した。私はあとでそつと禿を捉へ、宥《なだ》め賺《すか》し、誰にも言はないから打明けろと迫つて見たが、禿は執拗《しつえう》にかぶりを掉《ふ》つた。次の日も又次の日も、私は誰にも言はないからと狡《ずる》い前置をして口説《くど》いたすゑ、やつと白状させた。私はほく/\と得たり顔して急ぎ佐伯に告げた。赫怒《かくど》した佐伯に詰責されて禿は今度はおい/\声を挙げて泣き出し、掴《つか》まへようとした私から滑り抜けて飛鳥のやうに舎監室に走つた。三日おいて其日は土曜の放課後のこと、舎監室で会議が開かれ、ピリ/\と集合合図の笛を吹いて西寮の二年生全部を集めた前で、旅行中の校長代理として舎監長の川島先生が、如何《いか》に鉄拳制裁の野蛮行為であるかを諄々《じゆん/\》と説き出した。川島先生が息を呑《の》む一瞬のあひだ身動きの音さへたゝず鎮《しづ》まつた中に、突然佐伯の激しい啜《すゝ》り泣《な》きが起つた。と、他人《ひと》ごとでも見聞きするやうにぽツんとしてゐた私の名が、霹靂《へきれき》の如くに呼ばれた。
「一歩前へツ!」休職中尉の体操兼舎監の先生が行《い》き成り私を列の前に引《ひ》き摺《ず》り出した。
「き、き、君の態度は卑怯《ひけふ》だ。甚《はなは》だ信義《すんぎ》を欠く。た、た、誰にも言はぬなんて、実《づつ》ーに言語道断であるんで、ある。わすはソノ方を五日間の停学|懲戒《ちようけい》に処する。佐伯も処分する考《かん》げえであつたが、良心の呵責《かしやく》を感ずて、今こゝで泣いだがら、と、と、特別に赦《ゆる》す!」
二度といふ強度の近眼鏡を落ちさうなまで鼻先にずらした、鼠そつくりの面貌をした川島先生の、怒るとひどく吃《ども》る東北弁が終るか、前前日の午前の柔道の時間に肩胛骨《けんかふこつ》を挫《くじ》いて、医者に白い繃帯《ほうたい》で首に吊《つ》つて貰《もら》つてゐた腕の中に私は顔を伏せてヒイと泣き出したが、もう万事遅かつた。私は便所の近くの薄縁《うすべり》を敷いた長四畳に弧坐して夜となく昼となく涙にむせんだ。自ら責めた。一切が思ひがけなかつた。恐ろしかつた。便所へ行き帰りの生徒が、わけても新入生が好奇と冷嘲《れいてう》との眼で硝子《ガラス》へ顔をすりつけて前を過ぎるのが恥づかしかつた。誰も、佐伯でさへも舎監の眼を慮《おもんばか》つて忌憚《きたん》の気振《けぶ》りを見せ、慰めの言葉一つかけてくれないのが口惜《くや》しかつた。柔道で負傷した知らせの電報で父が馬に乗つて駈付《かけつ》けたのは私が懲罰を受けた前日であるのに、そして別れの時の父の顔はあり/\と眼の前にあるのに、一体この始末は何んとしたことだらう。私は巡視に来た川島先生に膝を折つて父に隠して欲しい旨を頼んだが、けれども通知が行つて父が今にもやつて来はしないかと思ふと、もう四辺《あたり》が真つ黒い闇《やみ》になり、その都度毎に繃帯でしばつた腕に顔を突き伏せ嗚咽《をえつ》して霞《かす》んだ眼から滝のやうに涙を流した。
停学を解かれた日学校に出る面目はなかつた。私は校庭に据《す》ゑられた分捕品《ぶんどりひん》の砲身に縋《すが》り、肩にかけた鞄《かばん》を抱き寄せ、こゞみ加減に皆からじろ/\向けられる視線を避けてゐた。
「イヨ、君、お久しぶりぢやの。稚児《ちご》騒ぎでもやつたんかえ?」
と、事情を知らない或通学生がにや/\笑ひながら声をかけてくれたので、「いゝや、違ふや」と、仲間に初めて口が利けて嬉《うれ》しかつた。私はその通学生を長い間徳としてゐた。
最早私には、学科の精励以外に自分を救つてくれるものはないと思つた。触《さは》らぬ人に祟《たゝ》りはない、己《おのれ》の気持を清浄に保ち、怪我《けが》のないやうにするには、孤独を撰《えら》ぶよりないと考へた。教場で背後から何ほど鉛筆で頸筋《くびすぢ》を突つつかれようと、靴先で踵《かゝと》を蹴《け》られようと、眉毛一本動かさず瞬《またゝ》き一つしなかつた。放課後寄宿舎に帰ると、室から室に油を売つて歩いてゐた以前とは打つて変り、小倉服を脱ぐ分秒を惜んで卓子《テエブル》に噛《かじ》りついた。いやが上にも陰性になつて仲間から敬遠されることも意に介せず、それは決して嘗ての如き虚栄一点張の努力でなく周囲を顧みる余裕のない一国《いつこく》な自恃《じぢ》と緘黙《かんもく》とであつた。たゞ予習復習の奮励が教室でめき/\と眼に立つ成績を挙げるのを楽しみにした。よし頭脳が明晰《めいせき》でないため迂遠《うゑん》な答へ方であつても、答へそのものの心髄は必ず的中した。
しかし、何《ど》うしためぐり合せか私には不運が続いた。ころべば糞《くそ》の上とか言ふ、この地方の譬《たと》へ通りに。初夏の赤い太陽が高い山の端《は》に傾いた夕方、私は浴場を出て手拭《てぬぐひ》をさげたまゝ寄宿舎の裏庭を横切つてゐると、青葉にかこまれたそこのテニス・コートでぽん/\ボールを打つてゐた一年生に誘ひ込まれ、私は滅多になく躁《はしや》いで産れてはじめてラケットを手にした。無論直ぐ仲間をはづれて室に戻つたが、ところで其晩雨が降り、コートに打つちやり放しになつてゐたネットとラケットとが濡《ぬ》れそびれて台なしになつた。そこで庭球部から凄《すご》い苦情が出て、さあ誰が昨日最後にラケットを握つたかを虱《しらみ》つぶしに突きつめられた果、私の不注意といふことになり、頬《ほゝ》の肉が硬直して申し開きの出来ない私を庭球部の幹部が舎監室に引つ張つて行き、有無なく私は川島先生に始末書を書かされた上、したゝか説法を喰つてしまつた。
引き続いて日を経ない夕食後、舎生一同が東寮の前の菜園に出て働いた時のことであつた。私のはつし[#「はつし」に傍点]と打ち込んだ熊手が、図《はか》らず向ひ合つた人の熊手の長柄に喰ひ込んだ途端、きやア[#「きやア」に傍点]と驚きの叫び声が挙《あが》つた。舎生たちが仰天して棒立ちになつた私を取り巻いた。
「えーい、君少し注意したまへ!」と色を失つて飛んで来た川島先生は肺腑《はいふ》を絞つた声で眉間《みけん》に深い竪皺《たてじわ》を刻み歯をがた/\顫《ふる》はして叱つたが、頬を流れる私の涙を見ると、「うん、よし/\、まア、××君の頭で無くてよかつた、熊手の柄でよかつた……」
ほんたうに、もし過《あやま》つてその人の脳天に熊手の光る鉄爪を打ち込んだとしたら、私は何んとしたらいゝだらう? 一瞬私の全身には湯気の立つ生汗が流れた。私はその後幾日も/\、思ひ出しては両手で顔を蔽《おほ》うて苦痛の太息を吐いた。手を動かし足を動かす一刹那《いつせつな》に、今にも又、不公平な運命の災厄《さいやく》がこの身の上に落ちかゝりはしないかと怖《お》ぢ恐れ、維持力がなくなるのであつた。
暑中休暇が来て山の家に帰つた五日目、それのみ待たされた成績通知簿が届いた。三四の科目のほか悉《こと/″\》く九十点を取つてゐるのに、今度から学期毎に発表記入されることになつた席次は九十一番だつた。私はがつかりした。私は全く誰かの言葉に違《たが》はず、確かに低能児であると思ひ、もう楽しみの谷川の釣も、山野の跋渉《ばつせふ》も断念して、一と夏ぢゆう欝《ふさ》ぎ切つて暮した。九月には重病人のやうに蒼《あを》ざめて寄宿舎に帰つた。私はどうも腑《ふ》に落ちないので、おそる/\川島先生に再検査を頼むと九番であつたことが分つた。「君は悔悛《くわいしゆん》して勉強したと見えて、いゝ成績だつた」と、初めてこぼれるやうな親しみの笑顔を見せた。私は狂喜した。かうした機会から川島先生の私への信用は俄《にはか》に改まつた。私の度重なる怨《うら》みはたわいなく釈然とし、晴々として翼でも生えてひら/\とそこら中を舞ひ歩きたいほど軽い気持であつた。一週日経つてから一級上の川島先生の乱暴な息子が、学校の告知板の文書を剥《は》ぎ棄《す》てた科《とが》で処分の教員会議が開かれた折、ひとり舎監室で謹慎してゐた川島先生は、通りがゝりの私を廊下から室の中に呼び入れ、「わすの子供も屹度停学処分を受けることと思ふが、それでも君のやうに心を入れかへる機縁になるなら、わすも嬉しいがのう」と黯然《あんぜん》とした涙声で愬《うつた》へた。私の裡《うち》に何んとも言へぬ川島先生へ気の毒な情が湧《わ》き出るのを覚えた。
ほど無く私は幾らかの喝采《かつさい》の声に慢心を起した。そして何時《いつ》しか私は、独《ひと》りぼつちであらうとする誓約を忘れてしまつたのであらうか。強《あなが》ち孤独地獄の呻吟《しんぎん》を堪へなく思つたわけではないが、或偶然事が私を伊藤に結びつけた。伊藤は二番といふ秀才だしその上活溌|敏捷《びんせふ》で、さながら機械人形の如く金棒に腕を立て、幅跳びは人の二倍を飛び、木馬の上に逆立ち、どの教師からも可愛がられ、組の誰にも差別なく和合して、上級生からでさへ尊敬を受けるほど人気があつた。彼は今は脱落崩壊の状態に陥つてゐるが夥しい由緒《ゆゐしよ》ある古い一門に生れ、川向うの叔母の家からぴか/\磨いた靴を穿いて通学してゐた。朝寄宿舎から登校する私を、それまではがや/\と話してゐた同輩達の群から彼は離れて、おーい、お早う、と敏活な男性そのもののきび/\した音声と情熱的な眼の美しい輝きとで迎へた。私は悩ましい沈欝《ちんうつ》な眼でぢつと彼を見守つた。二人は親身の兄弟のやうに教室に出入りや、運動場やを、腕を組まんばかりにして歩いた。青々とした芝生の上にねころんで晩夏の広やかな空を仰いだ。学課の不審を教へて貰《もら》つた。柔道も二人でやつた。君はそれ程強くはないが粘りつこいので誰よりも手剛《てごは》い感じだと、さう言つて褒《ほ》めたと思ふと、彼独得の冴《さ》えた巴投《ともゑな》げの妙技を喰はして、道場の真中に私を投げた。跳ね起きるが早いか私は噛《か》みつかんばかりに彼に組みついた。彼は昂然《かうぜん》とゆるやかに胸を反《そ》らし、踏張つて力む私の襟頸《えりくび》と袖とを持ち、足で時折り掬《すく》つて見たりしながら、実に悠揚《いうやう》迫らざるものがある。およそ彼の光つた手際は、学問に於いて、運動に於いて、事毎にいよ/\私を畏《おそ》れさせた。このやうな、凡《すべ》て、私には身の分を越えた伊藤との提携を、友達共は半ば驚異の眼と半ば嫉妬《しつと》の眼とで視《み》た。水を差すべくその愛は傍目《はため》にも余り純情で、殊更《ことさら》らしい誠実を要せず、献身を要せず、而《しか》も聊《いさゝか》の動揺もなかつた。溢《あふ》るゝ浄福、和《なご》やかな夢見心地、誇りが秘められなくて温厚な先生の時間などには、私は柄にもなく挑戦し、いろ/\奇矯《きけう》の振舞をした。
Y中学の卒業生で、このほど陸軍大学を首席で卒業し、恩賜の軍刀を拝領した少佐が、帰省のついでに一日母校の漢文の旧師を訪《たづ》ねて来た。金モールの参謀肩章を肩に巻き、天保銭《てんぽうせん》を胸に吊つた佐官が人力車で校門を辞した後姿を見送つた時、さすがに全校のどんな劣等生も血を湧かした。
「ウヽ、芳賀《はが》君の今日《こんにち》あることを、わしは夙《つと》に知つとつた。芳賀君は尤《もつと》も頭脳も秀《ひい》でてをつたが、彼は山陽の言うた、才子で無うて真に刻苦する人ぢやつた」と、創立以来勤続三十年といふ漢文の老教師は、癖になつてゐる鉄縁の老眼鏡を気忙《きぜは》しく耳に挟《はさ》んだり外《はづ》したりし乍《なが
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