セイションを捲き起しましたよ」と、泡立《あわだ》つビールのコップをかゝへた手を中間で波のやうに顫はせて香川は声高に笑つた。
 このセンセイションが私を微笑させた。雪子に思ひを寄せてゐたころ幼い香川が家に遊びに来るたび、私は叉可衛さん/\と言つて菓子などやつてゐたのに、何時の間にそんな外国語を遣ふやうになつたのか。見れば見る程、彼の顔は、あどけなく、子供々々してゐた。
 私は彼を酔はしてその間に何か話をさせようともして見た。
「あなたの叔母さん、雪子さんは、御達者ですか、御幸福ですか?」
 私は斯う口に出かゝる問ひを、下を向いてぐつと唾《つば》と一しよに呑み込み呑み込みし、時に疎《うと》ましい探るやうな目付を彼に向けた。恐らく香川は彼の叔母と私との不運な恋愛事件については何も知つてはゐないだらうに。
 年が明けて雑誌が廃刊された。私は雑誌の主幹R先生の情にすがり、社に居残つて生活費まで貰ひ、処方による薬を服《の》んで衰へた健康の養生に意を注いだ。そして暇にまかせて自叙伝を綴《つゞ》つた。描いて雪子への片思ひのところに及び、あの秋の祭に雪子の家に請待《しやうだい》を受けて、瀬戸の火鉢のふち
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