去ると言へば泣いて引き留めたものだが、でも彼女が出戻りだといふことで、どうしても尊敬することが出来ず生涯を共にすることに精神上の張合ひがなかつた。私はもしも自分が雪子と結婚してゐたら、彼女の純潔を尊敬して、かういふ惨《みじ》めな破綻《はたん》は訪れないだらうと思つた。私は直ぐ駅で待合せた女と汽車に乗つたが、発《た》ち際《ぎは》のあわたゞしさの中でも、彼を思ひ、是を思ひ、時に朦朧《もうろう》とした[#「朦朧とした」は底本では「朧朦とした」]、時に炳焉《へいえん》とした悲しみに胴を顫ひ立たせ、幾度か測候所などの立つてゐる丘の下を疾駆する車内のクッションから尻を浮かせて「あゝゝ」とわめき呻《うめ》いたのであつた。……
足掛け六年の後、雪子の甥《をひ》の香川を眼の前に置いて、やはり思はれるものは、若《も》し雪子と結婚してゐたら、田舎の村で純樸な一農夫として真面目《まじめ》に平和な生涯をおくるであらうこと、寵栄《ちようえい》を好まないであらうこと、彼女と日の出と共に畠に出、日の入りには、鍬《くは》や土瓶を持つて並んで家に帰るであらうこと。一生の間始終笑ひ声が絶えないやうな生活の夢想が、憧憬《どうけい》が、油をそゝいだやうに私の心中に一時にぱつと燃え立つた。と同時に私は自分の表情にへばりつく羞恥《しうち》の感情に訶《さいな》まれて香川を見てはゐられなかつた。
香川は字村《あざむら》の人事など問はるゝまゝに話した。六年の間に自殺者も三人あつたといふこと、それが皆私の幼友達で、一人は飲食店の借金で首がまはらず狸《たぬき》を捕《と》る毒薬で自害し、一人の女は継母と婿養子との不和から世を厭《いと》うて扱帯《しごき》で縊《くび》れ、水夫であつた一人は失恋して朝鮮海峡に投身して死んだことを話した。我子の不所行を笑はれてゐた私の父母も、近所に同類項を得て多少とも助かる思ひをしただらうといふ皮肉のやうな憐憫《れんびん》の情を覚えたりしたが、又それらがすべて字村に撒《ま》いた不健全な私自身の悪い影響のせゐであるとも思へ、アハヽヽヽと声を立てては笑へなかつた。
「この暑中休暇に帰省した時でしたがね、何ぶん死体が見つからないので、船室に残つてゐた単衣《ひとへ》と夏帽子とを棺に入れて舁《かつ》ぎ、お袋さんがおい/\泣きながら棺の後について行つてH院の共同墓地に埋めましたがね、村ぢゆうに大へんなセン
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