女が私に内証で国許《くにもと》に報じ、父が電報で上京の時間まで通知して来たが、出入りの執筆同人の文士たちに見窄《みすぼ》らしい田舎者の父を見せることを憂へて、折返し私は電報で上京を拒んだ。中学時代、脚絆草鞋《きやはんわらぢ》で寄宿舎へやつて来る父を嫌つたをり父が、オレで悪いといふのか、オレでは人様の手前が恥づかしいといふのか、われもオレの子ぢやないか、と腹を立てた時のやうに、病む子を遙々《はる/″\》見舞はうとして出立の支度を整へた遠い故郷の囲炉裏端《いろりばた》で、真赤に怒つてゐるのならまだしも、親の情を斥《しりぞ》けた子の電文を打黙つて読んでゐる父のさびしい顔が、蒲団の中に呻《うめ》いてゐる私の眼先に去来し、つく/″\と何処まで行つても不孝の身である自分が深省された。略《ほゞ》これと前後して故郷の妻は子供を残して里方に復籍してしまつた。それまでは同棲《どうせい》の女の頼りない将来の運命を愍《あはれ》み気兼ねしてゐた私は、今度はあべこべに女が憎くなつた。女のかりそめの娯楽をも邪慳《じやけん》に罪するやうな態度に出て、二人は絶間なく野獣同士のごと啀《いが》み合つた。凡てが悔恨といふのも言ひ足りなかつた。自制克己も、思慮の安定もなく、疲労と倦怠との在《あ》るがまゝに流れて来たのであつた。
 或年の秋の大掃除の時分、めつきり陽《ひ》の光も弱り、蝉《せみ》の声も弱つた日、私は門前で尻を端折り手拭で頬冠りして、竹のステッキで畳を叩いてゐた。其処へ、まだまるで紅顔の少年と言ひたいやうな金釦《きんボタン》の新しい制服をつけた大学生が、つか/\と歩み寄つて、
「あなたは、大江さんでせう?」と、問ひかけた。
「……」私は頬冠りもとかずに、一寸顔を擡《もた》げ、きよとん[#「きよとん」に傍点]と大学生の顔を視上げた。「あなたは、どなたでせうか?」
「僕、香川です。四月からW大学に来てゐます。前々からお訪ねしようと思つてゐて、ご住所が牛込矢来とだけは聞いてゐましたけれども……」
「香川……あ、叉可衛《さかゑ》さんでしたか。ほんとによく私を覚えてゐてくれましたねえ」
 私はすつかり魂消《たまげ》てしまつた。香川は私の初恋の娘雪子の姉の子供であつた。私は大急ぎで自分の室を片附け、手足を洗つて香川を招じ上げた。そして近くの西洋料理店から一品料理など誂《あつら》へ、ビールを抜いて歓待した。彼の
前へ 次へ
全30ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
嘉村 礒多 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング