日に連れ戻した。受験後の当座は、毎晩父が風呂に入るとお流しに行く母の後について私も湯殿に行く度《たび》、「われの試験が通らんことにや、俺ア、近所親類へ合す顔がないが」と溜息《ためいき》を吐《つ》き、それから試験がうかればうかつたで、入学後の勉強と素行について意見の百万遍を繰返したものだのに、でも、あの松林を二人ぎりで歩いて来た時は、私の予期に反して父は何ゆゑ一言の忠言もしなかつたのだらう? その場合の、無言の父のはうが、寧《むし》ろどんなにか私の励みになつてゐた。
 何かしら斯様《かやう》な感慨が始終胸の中を往来した。私は或時舎生に、親のことを思へば勉強せずにはをられん、とつい興奮を口走つて、忽《たちま》ちそれが通学生の耳に伝はり、朝の登校の出合がしら「やあ、お早う」といふ挨拶代《あいさつがは》りに誰からも「おい、親のことを思へば、か」と揶揄《やゆ》されても、別に極《きま》り悪くは思はなかつた。夜の十時の消燈ラッパの音と共に電燈が消え皆が寝しづまるのを待ち私は便所の入口の燭光の少い電燈の下で教科書を開いた。それも直ぐ評判になつて、変テケレンな奴だといふ風評も知らずに、口々に褒《ほ》めてもらへるものとばかり思ひ込み、この卑しい見栄《みえ》の勉強のための勉強を、それに眠り不足で鼻血の出ることをも勉強家のせゐに帰して、内心で誇つてゐた。冷水摩擦が奨励されると毎朝衆に先んじて真つ裸になり釣瓶《つるべ》の水を頭から浴びて見せる空勇気を自慢にした。
 西寮十二室といふ私共の室には、新入生は県会議員の息子と三等郵便局長の息子と私との三人で、それに二年生の室長がゐたが、県会議員や郵便局長が立派な洋服姿で腕車を乗り着けて来て室長に菓子箱などの贈物をするので、室長は二人を可愛がり私を疎《うと》んじてゐた。片輪といふ程目立たなくも室長は軽いセムシで、二六時中|蒼白《あをじろ》い顔の眉《まゆ》を逆立てて下を向いて黙つてゐた。嚥《の》み込んだ食べものを口に出して反芻《はんすう》する見苦しい男の癖に、反射心理といふのか、私のご飯の食べ方がきたないことを指摘し、口が大きいとか、行儀が悪いとか、さんざ品性や容貌《ようばう》の劣悪なことを面と向つて罵《のゝし》つた。私は悲しさに育ちのいゝ他の二人の、何処《どこ》か作法の高尚《かうしやう》な趣、優雅な言葉遣ひや仕草やの真似をして物笑ひを招いた。私の祖父
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