《ひざばうず》をがたがた顫《ふる》はしてゐる生徒も沢山に見受けられた。一つは性質から、一つは境遇から、兎角《とかく》苦悩の多い過去が、ほんの若年ですら私の人生には長く続いてゐた。それは入学式の日のことであるが、消魂《けたゝま》しいベルが鳴ると三人の先生が大勢の父兄たちを案内して控所へ来、手に持つた名簿を開けていち/\姓名を呼んで、百五十人を三組に分けた。私は三ノ組のびりつこから三番目で、従つて私の名が呼ばれるまでには夥《おびたゞ》しい時間を要した。或《あるひ》は屹度《きつと》、及第の通知が間違つてゐたのではないかと、愬《うつた》へるやうにして父兄席を見ると、木綿の紋付袴《もんつきはかま》の父は人の肩越しに爪立《つまだ》ち、名簿を読む先生を見詰め子供の名が続くかと胸をドキつかせながら、あの、嘗《かつ》て小学校の運動会の折、走つてゐる私に堪《たま》りかねて覚えず叫び声を挙《あ》げた時のやうな気が気でない狂ひの発作が、全面の筋肉を引き吊《つ》つてゐた。その時の気遣ひな戦慄《せんりつ》が残り、幾日も幾日も神経を訶《さいな》んでゐたが、やがて忘れた頃には、私は誰かの姿態の見やう見真似《みまね》で、ズボンのポケットに両手を差し、隅《すみ》つこに俯向《うつむ》いて、靴先でコト/\と羽目板を蹴《け》つて見るまでに場馴《ばな》れたのであつた。二年前まではこの中学の校舎は兵営だつたため、控所の煉瓦敷《れんぐわじき》は兵士の靴の鋲《びやう》や銃の床尾鈑《しやうびばん》やでさん/″\破壊されてゐた。汗くさい軍服の臭《にほ》ひ、油ツこい長靴の臭ひなどを私は壁から嗅《か》ぎ出した。
 日が経《た》つにつれ、授業の間の十分の休憩時間には、私は控所の横側の庭のクローウヴァーの上に坐つて両脚を投げ出した。柵外《さくぐわい》の道路を隔てた小川の縁の、竹藪《たけやぶ》にかこまれた藁屋根《わらやね》では間断なく水車が廻り、鋼鉄の機械鋸《きかいのこ》が長い材木を切り裂く、ぎーん、ぎん/\、しゆツ/\、といふ恐ろしい、ひどく単調な音に、そしてそれに校庭の土手に一列に並んでゐる松の唸《うな》り声《ごゑ》が応じ、騒がしい濤声《たうせい》のやうに耳の底に絡《から》んだ。水車が休んでゐる時は松はひとりで淋《さび》しく奏《かな》でた。その声が屡々《しば/\》のこと私を、父と松林の中の道を通つて田舎《ゐなか》から出て来た
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