は殆《ほとん》ど日曜日毎に孫の私に会ひに来た。白い股引《もゝひき》に藁草履《わらざうり》を穿いた田子《たご》そのまゝの恰好《かつかう》して家でこさへた柏餅《かしはもち》を提《さ》げて。私は柏餅を室のものに分配したが、皆は半分食べて窓から投げた。私は祖父を来させないやうに家に書き送ると、今度は父が来出した。父の風采《ふうさい》身なりも祖父と大差なかつたから、私は父の来る日は、入学式の前晩泊つた街道筋の宿屋の軒先に朝から立ちつくして、そこで父を掴《つか》まへた。祖父と同様寄宿舎に来させまいする魂胆を感附いた父は、「俺でも悪いといふのか、われも俺の子ぢやないか、親を恥づかしう思ふか、罰当《ばちあた》りめ!」と唇をひん曲げて呶鳴《どな》りつけた。とも角、何は措《お》いても私は室長に馬鹿にされるのが辛《つら》かつた。どうかして、迚《とて》も人間業《にんげんわざ》では出来ないことをしても、取り入つて可愛がられたかつた。その目的ゆゑに親から強請した小遣銭で室長に絶えず気を附けて甘いものをご馳走《ちそう》し、又言ひなり通り夜の自習時間に下町のミルクホールに行き熱い牛乳を何杯も飲まし板垣を乗り越えて帰つて来る危険を犯すことを辞しなかつた。夜寝床に入ると請はるゝまゝに、祖父から子供のをり冬の炉辺のつれ/″\に聞かされた妖怪変化《えうくわいへんげ》に富んだ数々の昔噺《むかしばなし》を、一寸法師の桶屋《をけや》が槌《つち》で馬盥《ばだらひ》の箍《わ》を叩《たゝ》いてゐると箍が切れ跳《は》ね飛ばされて天に上り雷さまの太鼓叩きに雇はれ、さいこ槌を振り上げてゴロ/\と叩けば五五の二十五文、ゴロ/\と叩けば五五の二十五文|儲《まう》かつた、といつた塩梅《あんばい》に咄家《はなしか》のやうな道化た口調で話して聞かせ、次にはうろ覚えの浄瑠璃《じやうるり》を節廻しおもしろう声色《こわいろ》で語つて室長の機嫌《きげん》をとつた。病弱な室長の寝小便の罪を自分で着て、蒲団《ふとん》を人の目につかない柵にかけて乾かしてもやつた。斯《か》うしてたうとう荊棘《いばら》の道を踏み分け他を凌駕《りようが》して私は偏屈な室長と無二の仲好しになつた。するうち室長は三学期の始頃、腎臓の保養のため遠い北の海辺《うみべ》に帰つて間もなく死んでしまつた。遺族から死去の報知を受けたものは寄宿舎で私一人であつた程、それだけ私は度々見舞
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