額には幾条もの太い皺《しわ》が寄り、老婆そのまゝの容貌をしてゐたので、入舎早々ばア様といふ綽名《あだな》がついた。ばア様といふ綽名は又|如何《いか》にもそのこせ/\した性情をよく象徴してゐて、実に小言好きの野卑な男で、私の旧悪を掘り出して人毎に曝《あば》くことを好んだ。黒坊主黒坊主と言つて私を嘲弄《てうろう》したことを、それから私が黒坊主と言ひそやされる反動で、奇妙な病気から鼻の両脇《りやうわき》に六つの小鼻が鈴生《すずなり》に累結してゐる子供を鼻六ツ々々々と言つて泣かせ、その弱味につけこみ覗《のぞき》メガネの絵など高価に売りつけたり、学用品を横領したりしたことを。猶《なほ》又、駄菓子屋の店先に並んだ番重の中から有平糖《あるへいたう》を盗み取る常習犯であつたことまで数へ立てて、私を、ぬすツと、と言つて触れ廻つた。さうした私の悪意を極《きは》めた陰口と見え透いたお世辞とによつて彼は転校者として肩身の狭い思ひから巧に舎内の獰猛組《だうまうぐみ》に親交を求め、速《すみやか》に己が位置を築くことに汲々《きふ/\》としてゐた。ばア様は私の室の前を、steal, stole, stolen と声高《こわだか》に言つて通つて行く。私は無念の唇を噛み緊《し》め乍《なが》らも、のさばるばア様を何《ど》うしようもなく、たゞ/\おど/\した。無暗《むやみ》にあわてた。折りも折、舎内で時計やお鳥目《てうもく》の紛失が頻々《ひん/゜\》と伝はつた。私は消え入りたい思ひであつた。泥棒の噂《うはさ》の立つ毎に、ひよつとして自分の本箱や行李《かうり》の中に、ポケットなどに他人の金入れが紛れこんではゐないか、夜|臥床《とこ》をのべようと蒲団をさばく時飛び出しはしないか、と戦々兢々《せん/\きよう/\》とした。正しいことをすればする丈《だけ》、言へば言ふ丈、その嫌疑《けんぎ》を免かれる方便の如く思ひ做《な》された。冬期休業が来て舎生が帰省の旅費を下附された晩、七八人もの蝦蟇口《がまぐち》が誰かの手で盗まれ、たうとう町の警察から来て、どうしても泥棒は舎内のものだといふ鑑定で、一課目残つてゐる翌日の試験中に三人の刑事は小使や門衛を手伝はして各室の畳まで上げて調べ、続いて試験場から帰つて来た一人々々を食堂の入口でつかまへ、制服を脱がせ靴を脱がせして調べた。私の番になるとばア様は二三の仲間を誘ひ、意味ありげに
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