陰険な視線と薄笑ひとを浴びせ乍ら、私の前を行きつ戻りつした。強《し》ひて心を空《むな》しうしようとすれば、弥《いや》が上に私の顔容はひずみ乱れた。が、逐一犯罪は検挙され、わツといふ只《たゞ》ならぬ泣声と共に、私たちは食事の箸を投げて入口に押しかけると、東寮の或三年生が刑事の前に罪状を告白して泣き伏してゐた。私は自分が刺されたやうに胸が痛んで、意識が朦朧《もうろう》と遠くなつた。
 人もあらうに、どうしてか、其頃から伊藤はばア様と親しく交はり出した。従来伊藤の気づいてない私の性分をばア様が一つ/\拾ひ立てて中傷に努めてゐた矢先、藩主の祖先を祀《まつ》つた神社の祭に全校生が参拝した際、社殿の前で礼拝の最中石に躓いてよろめいた生徒を皆に混つてくツ/\笑つた私を、後で伊藤がひどく詰《なじ》つた。これと前後して、二人で川に沿うた片側町を歩いてゐた時、余所《よそ》の幼い子供が玩具の鉄砲の糸に繋《つな》がつたコルクの弾丸で私を撃つたので、私が怒つてバカと叱ると、伊藤は無心の子供に対する私のはした無い言葉を厭《いと》うて、「ちえツ、君には、いろ/\イヤなところがある」と、顔を真赤にして頬をふくらませて下を向いた。そして、それまでは並んで歩いてゐた彼は、柳の下につい[#「つい」に傍点]と私を離れ、眉を寄せて外方《そつぽ》を見詰め口笛を吹き出した。
 日増に伊藤は私から遠去り、さうした機会に、ばア様はだん/\伊藤を私の手から奪つて行つて、完全に私を孤立せしめた。思ふと一瞬の目叩《またゝ》きの間に伊藤は私に背向《そむ》いたのであつた。私は呆《あき》れた。この時ばかりは私は激憤して伊藤の変節を腹の底から憎んだ。私は心に垣を張つて決して彼をその中に入れなかつた。避け合つても二人きりでぱつたり出逢ふことがあつたが、二人とも異様に光つた眼をチラリと射交《いかは》し、あゝ彼奴は自分に話したがつてゐるのだなア、と双方で思つても露《あらは》に仲直りの希望を言ふことをしなかつた。私はやぶれかぶれに依怙地《いこぢ》になつて肩を聳《そび》やかして己が道を歩いた。

 長い間ごた/\してゐた親族の破産が累を及ぼして、父の財産が傾いたので、三年生になると私は物入りの多い寄宿舎を出て、本町通りの下駄屋の二階に間借りした。家からお米も炭も取り寄せ、火鉢《ひばち》の炭火で炊《た》いた行平《ゆきひら》の中子《しん》ので
前へ 次へ
全30ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
嘉村 礒多 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング