肩胛骨《けんかふこつ》を挫《くじ》いて、医者に白い繃帯《ほうたい》で首に吊《つ》つて貰《もら》つてゐた腕の中に私は顔を伏せてヒイと泣き出したが、もう万事遅かつた。私は便所の近くの薄縁《うすべり》を敷いた長四畳に弧坐して夜となく昼となく涙にむせんだ。自ら責めた。一切が思ひがけなかつた。恐ろしかつた。便所へ行き帰りの生徒が、わけても新入生が好奇と冷嘲《れいてう》との眼で硝子《ガラス》へ顔をすりつけて前を過ぎるのが恥づかしかつた。誰も、佐伯でさへも舎監の眼を慮《おもんばか》つて忌憚《きたん》の気振《けぶ》りを見せ、慰めの言葉一つかけてくれないのが口惜《くや》しかつた。柔道で負傷した知らせの電報で父が馬に乗つて駈付《かけつ》けたのは私が懲罰を受けた前日であるのに、そして別れの時の父の顔はあり/\と眼の前にあるのに、一体この始末は何んとしたことだらう。私は巡視に来た川島先生に膝を折つて父に隠して欲しい旨を頼んだが、けれども通知が行つて父が今にもやつて来はしないかと思ふと、もう四辺《あたり》が真つ黒い闇《やみ》になり、その都度毎に繃帯でしばつた腕に顔を突き伏せ嗚咽《をえつ》して霞《かす》んだ眼から滝のやうに涙を流した。
停学を解かれた日学校に出る面目はなかつた。私は校庭に据《す》ゑられた分捕品《ぶんどりひん》の砲身に縋《すが》り、肩にかけた鞄《かばん》を抱き寄せ、こゞみ加減に皆からじろ/\向けられる視線を避けてゐた。
「イヨ、君、お久しぶりぢやの。稚児《ちご》騒ぎでもやつたんかえ?」
と、事情を知らない或通学生がにや/\笑ひながら声をかけてくれたので、「いゝや、違ふや」と、仲間に初めて口が利けて嬉《うれ》しかつた。私はその通学生を長い間徳としてゐた。
最早私には、学科の精励以外に自分を救つてくれるものはないと思つた。触《さは》らぬ人に祟《たゝ》りはない、己《おのれ》の気持を清浄に保ち、怪我《けが》のないやうにするには、孤独を撰《えら》ぶよりないと考へた。教場で背後から何ほど鉛筆で頸筋《くびすぢ》を突つつかれようと、靴先で踵《かゝと》を蹴《け》られようと、眉毛一本動かさず瞬《またゝ》き一つしなかつた。放課後寄宿舎に帰ると、室から室に油を売つて歩いてゐた以前とは打つて変り、小倉服を脱ぐ分秒を惜んで卓子《テエブル》に噛《かじ》りついた。いやが上にも陰性になつて仲間から敬遠されるこ
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