とも意に介せず、それは決して嘗ての如き虚栄一点張の努力でなく周囲を顧みる余裕のない一国《いつこく》な自恃《じぢ》と緘黙《かんもく》とであつた。たゞ予習復習の奮励が教室でめき/\と眼に立つ成績を挙げるのを楽しみにした。よし頭脳が明晰《めいせき》でないため迂遠《うゑん》な答へ方であつても、答へそのものの心髄は必ず的中した。
しかし、何《ど》うしためぐり合せか私には不運が続いた。ころべば糞《くそ》の上とか言ふ、この地方の譬《たと》へ通りに。初夏の赤い太陽が高い山の端《は》に傾いた夕方、私は浴場を出て手拭《てぬぐひ》をさげたまゝ寄宿舎の裏庭を横切つてゐると、青葉にかこまれたそこのテニス・コートでぽん/\ボールを打つてゐた一年生に誘ひ込まれ、私は滅多になく躁《はしや》いで産れてはじめてラケットを手にした。無論直ぐ仲間をはづれて室に戻つたが、ところで其晩雨が降り、コートに打つちやり放しになつてゐたネットとラケットとが濡《ぬ》れそびれて台なしになつた。そこで庭球部から凄《すご》い苦情が出て、さあ誰が昨日最後にラケットを握つたかを虱《しらみ》つぶしに突きつめられた果、私の不注意といふことになり、頬《ほゝ》の肉が硬直して申し開きの出来ない私を庭球部の幹部が舎監室に引つ張つて行き、有無なく私は川島先生に始末書を書かされた上、したゝか説法を喰つてしまつた。
引き続いて日を経ない夕食後、舎生一同が東寮の前の菜園に出て働いた時のことであつた。私のはつし[#「はつし」に傍点]と打ち込んだ熊手が、図《はか》らず向ひ合つた人の熊手の長柄に喰ひ込んだ途端、きやア[#「きやア」に傍点]と驚きの叫び声が挙《あが》つた。舎生たちが仰天して棒立ちになつた私を取り巻いた。
「えーい、君少し注意したまへ!」と色を失つて飛んで来た川島先生は肺腑《はいふ》を絞つた声で眉間《みけん》に深い竪皺《たてじわ》を刻み歯をがた/\顫《ふる》はして叱つたが、頬を流れる私の涙を見ると、「うん、よし/\、まア、××君の頭で無くてよかつた、熊手の柄でよかつた……」
ほんたうに、もし過《あやま》つてその人の脳天に熊手の光る鉄爪を打ち込んだとしたら、私は何んとしたらいゝだらう? 一瞬私の全身には湯気の立つ生汗が流れた。私はその後幾日も/\、思ひ出しては両手で顔を蔽《おほ》うて苦痛の太息を吐いた。手を動かし足を動かす一刹那《いつせつ
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