傷的になつてゐた。
「そんな水臭いこと仰云《おつしや》つちや厭」千登世は怒りを含んだ聲で言つた。
 食事が終ると圭一郎は服藥して蒲團を被り、千登世は箆臺《へらだい》をひろげて裁縫にかゝつた。
「あなた、わたしの方を向いてて頂戴」
 千登世は顏をあげて絲をこき乍ら言つた。彼の顏が夜着の襟にかくれて見えないことを彼女はもの足りなく思つた。
「それから何かお話して頂戴、ね。わたしさびしいんですもの」
 圭一郎は「あゝ」と頷いて顏を出し二言三言お座なりに主人夫婦が旅に出かけたことなど話柄にしたが、直ぐあとが次《つ》げずに口を噤《つぐ》んだ。折しも、妹の長い手紙の文句がそれからそれへと思ひ返されて腸《はらわた》を抉《ゑ》ぐられるやうな物狂はしさを感じた。深い愁ひにつゝまれた故郷の家の有樣が眼に見えるやうで、圭一郎は何んとしとるぢやろ、と言つて箸を投げて悲歎に暮るる老父の姿が、そして父ちやん何時戻つて來る? とか、父ちやん戻つたらコマをまはして見せるとか言ふ眉の憂鬱な子供の面差が、又|怨《うら》めしげに遣る瀬ない悲味を愬《うつた》へた妻の顏までが、圭一郎の眼前に瀝々《まざ/\》と浮ぶのであつた。し
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