唖々と啼いて飛んでゐた。こんな都會の空で烏の鳴き聲を聞くことが何んだか不思議なやうな、異樣な哀しさを覺えた。
 南新川、北新川は大江戸の昔から酒の街と稱《い》つてるさうだ。その南北新川街の間を流れる新川の河岸《かし》には今しがた數艘の酒舟が着いた。滿潮にふくれた河水がぺちやぺちやと石垣を舐《な》める川縁から倉庫までの間に莚《むしろ》を敷き詰めて、その上を問屋の若い衆達が麻の前垂に捩鉢卷で菰冠《こもかぶ》りの四斗樽をころがし乍ら倉庫の中に運んでゐるのが、編輯室の窓から見下された。威勢のいゝ若い衆達の拍子揃へた端唄《はうた》に聽くとはなしに暫らく耳傾けてゐる圭一郎は軈て我に返つて振向くと、窓下の狹い路地で二三人の子供が三輪車に乘つて遊んでゐた。一人の子供が泣顏《べそ》をかいてそれを見てゐた。と忽ち、圭一郎の胸は張裂けるやうな激しい痛みを覺えた。
 其年の五月の上旬だつた。圭一郎は長い間の醜く荒《すさ》んだ惡生活から遁《のが》れるために妻子を村に殘してY町で孤獨の生活を送つてゐるうち千登世と深い戀仲になりいよ/\東京に駈け落ちしなければならなくなつた其日、彼は金策のために山の家に歸つて行つた
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