やん」と筒袖のあぶ/\の寢卷を着た子供が納戸《なんど》の方から走つて現れた。
「おゝ、敏ちやん!」と聲の限り叫んで子供に飛びかからうとした時、千登世にゆすぶられてはつ[#「はつ」に傍点]と眼が醒めた。
「どんな夢でしたの?」と千登世は訊いた。
圭一郎は曖昧《あいまい》に答へを逸《そら》して、いい加減に胡麻化した。
若し夢の中で妻の名でも呼んだら大へんだといふ懸念に襲はれ、その夜からは、寢に就く時は恟々《びく/\》して手を胸の上に持つて行かないやうに用心した。僅かに眠る間にのみ辛じて冀《こひねが》ひ得らるる一切の忘却――それだのに圭一郎の頭は疲れた神經の疾患から冴え切つて、近所の鷄の鳴く時分までうつら/\と細目を繁叩《しばたゝ》きつゞけて寢付けないやうな不眠の夜が幾日もつゞいた。
一ヶ月の日が經つた。ある温暖《あたゝか》い五月雨《さみだれ》のじと/\降る日の暮方、彼が社から歸つて傘をすぼめて共同門を潜ると、最近向うから折れて出て仲直りした煎餅屋の内儀《かみ》さんが窓際で千登世と立話をしてゐたが、石段を降りると圭一郎の姿を見つけるなり千登世に急ぎ暇乞《いとまごひ》して、つか/\と彼の
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