きおくれ》がし、近くの眞砂町の崖崩れに壓し潰された老人夫婦の無慘《むごたら》しい死と思ひ合はせて、心はむやみに暗くなつた。圭一郎は暫時考へた揚句、涙含《なみだぐ》んでたじろぐ千登世を叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]して、今は物憂く未練のない煎餅屋の二階を棄て去つたのである。
 崖崩れに壓死するよりも、火焔に燒かれることよりも、如何なる亂暴な運命の力の爲めの支配よりも圭一郎が新しい住處を怖《お》じ畏れたことは、崖上の椎《しひ》の木立にかこまれてG師の會堂の尖塔が見えることなのだ。
 駈落ち當時、圭一郎は毎夜その會堂に呼寄せられて更くるまで千登世との道ならぬ不虔《ふけん》な生活を斷ち切るやうにと、G師から峻烈な説法を喰つた。が、何程|捩込《ねぢこ》んで行つても圭一郎の妄執の醒めさうもないのを看破つたG師の、逃げるものを追ひかけるやうな念は軈《やが》て事切れた。會堂の附近を歩いてゐる時、行く手の向うに墨染の衣《ころも》を着た小柄のG師の端嚴な姿を見つけると、圭一郎はこそ/\逃げかくれた。夜半に眼醒めて言ひやうのない空虚の中に、狐憑《きつねつ》きのやうに髮を蓬々《ぼう/\》と亂した
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