やありませんか。……幼い時からわれわれ兄弟はお母さんのふところに抱かれて悲しい流浪生活をし、それから皆はちり/″\ばら/\に別れ、自分は自分で鞍馬の山に隱れたり、それ/″\苦勞のすゑ、兄さんを助けて源氏再興を計り、自分は西の端まで平家を迫ひ詰めてやうやく亡ぼして、兄さんに褒めて頂かうと思つて此處まで歸つて見ると、兄さんは奸臣の言を信じて、弟を殺さうとしてゐられる、兄さん、どうぞ弟の眞心を分つて下さいつて、義經が血の涙で書いたといふんでせう。中學校の時、國語の教科書でならつた筈でせうに、あなたつて忘れつぽい人、駄目ですね。」
と、ユキは、護良親王のところで頻りに馬鹿呼ばはりをされた意趣返しに、一氣に滔々百萬言を弄して、喰つてかゝるやうに述べ立てた。
私はをかしくもあつたが、感心して聞いた。
二人は、身體を捩ぢて、窓外の七里ヶ濱の高い浪を見た。帆かけ舟が一艘、早瀬の上を流れてゐた。
「七里ヶ濱ですか。ほれ中學の生徒のボートが沈没したといふのはここですね。……眞白き富士の嶺、みどりの江の島、仰ぎ見るも今は涙――わたしたちの女學生時代には大流行でしたよ。」
「なるほど、僕らも歌つた、歌つた。古いことだね。」
私はちよつとわが眼の輝きを感じた。ユキの歌が、今は悉く空想を離れ、感傷を離れた私を、刹那に若かつた日に連れかへした。同じく口吟みながらユキ自身も乙女心の無心にしばし立ち返つたかもしれないが、それらは、いづれも泡沫の如く消え去る儚いものだつた。
だいぶん經つて、私は思ひ出して訊いた。
「で、頼朝は、どうした?」
「使の者が、駒に跨がつて、鞭を當てて、錬倉の頼朝のところへ手紙を持つて行くと、頼朝は封も切らずに引き破いて、直に召し捕れと部下のものに言ひ付けたんですつて。頼朝つて何處まで猜疑心の強い人間だつたのでせうね。あんなに、血族のものを、誰も彼も疑ぐらずにはゐられないなんて……」
瞬間、私は、深い/\憂鬱に落ち込んで、それきり俛首《うなだ》れて默つてしまつた。
山の麓の勾配に柵をめぐらした廣い牧場で、青草を喰んでゐるのや、太陽に向つて欠伸をしてゐるのや、寢そべつて日向ぼつこをしてゐるのや、さうした牛の群が、車窓の外に瞳を掠めて過ぎた。
「頼朝の墓が僕は見たくなつた。時間があつたら、歸りに見て行きたい。」
と、私は獨言のやうに呟いた。
私達は目指す由比ヶ濱に降り立つた。
晝食のをり鎌倉驛前の運送屋の店頭で、避暑地御引上げの方は何卒當店へ――といふ立看板を見て、私は妙にさびしかつたが、ここに來て見て、やはり、さしもの由比ヶ濱海水浴場も、眼前に凋落を控へてゐることが感じられた。今日明日にも引上げなければならぬ人が多いのではあるまいか。それゆゑ、夏の享樂場、戀の歡樂場に、焦躁が燃え立つてゐると見るのは、私の主觀のせゐばかりであらうか。あゝ何ぞ來ることの甚だ遲かりし――私は、潮風に當りたいため帽子を脱ぎ、ユキは蝙蝠を疊み、並んでそぞろ歩いた。
「あなたも、ちよつと入つてごらんなさいな。海水着は借りられますよ。泳げるでせう?」
ユキの言葉は誘惑である。そして、それに關聯して、自分は十二三まで泳げなかつたこと、村の「賽の神」といふ淵の天狗岩の上で年上の連中の泳ぎを見てゐて、ひとりの白痴にいきなり淵の中に突き落され餘程水を飮んだこと、そんなことから泳ぎを覺え、川では相當の自信を嘗て持つてゐたことなど思ひ返したが、と言つて、眼の前の濱に押し寄す荒い波ぐらゐ、ほんの子供でさへ巧みに乘り越え、自由にあやつる技倆を見ては、私は恥づかしくて裸體になる勇氣が出なかつた。
昆布や魚の頭が濁つた水にきたならしく打ち上げられてゐる片瀬とは異つて、ここの眞砂は穢れず、波は飽まで白かつた。片瀬では殆ど見えなかつた、縞柄の派手な海岸パラソルの點在や、模樣の美しい贅澤な海水着や、裕福らしい西洋人の家族や、すべて、アッパッパを着て丸髷に結つた五九郎の喜劇役者のやうな四十女がブランコに乘り、傍から「母ちやん、このごろ、だいぶんウマくなつたのね。」と小さな女の兒が言つてゐたやうな片瀬とは、品位、教養、階級のいづれもが立ち優れて見えた。富者が永久に貧者を輕蔑し、貧者が永久に富者を嫉む本能を、そして下賤な物に深い同感同情を持ち得ない自分を其儘受容れた。
二人は、無言のまゝ、五歩行つては立ち留り、十歩行つては立ち留つた。
もう夕景が迫つてゐた。
一人はオリーブ色、一人は紅色の海水着を着た、どちらも背丈のすんなり高い若い女が、手に褐色の浮袋をかゝへ、並んで松林の中の別莊に歸つて行くのが繪よりも美しかつた。
濱邊は、だんだんさびれて行つた。
遙か彼方の材木座海水浴場にも夕陽が落ちた。ぎらぎら光る落日を浴びて蠢《うごめ》く人々は豆粒程に小さく見えた。
私達も引き上げねばならなかつた。
「もう、いいだらう。」
「えゝ、十分ですとも。いろいろ見せて頂いて、どうも有り難うございました。」
と、ユキは改まつた口調でお禮を言つた。
別莊から立ち昇る夕餉の煙を見ては、ユキは、何がなし氣忙《きぜは》しい氣持になる。早く吾家へ歸りたいと言つた。
滑川《なめりがは》の畔まで來かかつて、海岸橋下の葦の中に蹲んで釣を垂れてゐる若者を、二人は渚に立つて見てゐた。はツと思ふと竿がまん圓くたわんで、薄暮に銀鱗が光つて跳ね上つた。
「あなたにも、ああした日が來るでせうか、わたしは、わたし達が東京にゐられなくなつたら、わたしの生れ故郷に歸つて、小商賣かお針の塾でも開いて、あなたには毎日釣をさしてあげたいの。そんな安息の日は來ないでせうか。」と、ユキはしみじみと言つた。
「けどね、時偶《ときたま》一日かうした生活を見ると羨ましいが、ぢきに退屈するよ。退屈なり寂寥を拒ぐための鬪ひだよ!」と、私は言下に否定した。
「それもさうですね。兎に角、將來、田舍へ歸るとでも、東京に踏みとどまるとでも、わたしは、あなたの意志通りになりますから。」
まだまだ、これから流轉が續く自分達の生涯に、又と斯ういふ日もすくないであらう今日の行樂を感謝して、二人は都會で働くべく、松林の中の白い道路を蜩《ひぐらし》のリンリンといふ聲を聞きつつ、停車場をさして歩いた。
底本:「現代日本紀行文学全集 東日本編」ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日初版発行
初出:「文学時代」
1931(昭和6)年10月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:松永正敏
2004年5月1日作成
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