、明治大帝、最初の特別大演習御統監のため臨幸あらせられた際、この土牢をご覽あそばして、群臣に仰せられた御言葉の一端が誌してある。……朕否徳ニシテ、股肱のたすくるところにより、どうやら、維新の大業をなすことが出來たのだが、こゝに端なくも今、兵部卿親王の土牢の前に來て見て、あゝして建國の業半ばにして、お若いお年で、お悼はしい最後を逐げられた宮の御心事を追懷すれば、朕《ちん》歔欷《きよき》セサルハナシ――大體かういふ意味であつた。
如何にも明治聖帝としては、畏れ多いことながら、わが御身にひきかけ給うて、千萬無量の御實感、御感慨であつたらうと、文字を拾ひ讀んでゐるうちに、おのづと瞼がほてつて、それこそムシケラにも價しない自分如きに相應《ふさは》しからぬが、私はたうとう恐懼の涙を堰止め得なかつた。
ユキに促されて、私は極度の興奮状態で、ふら/\と石段を下り寶物館の前に來て、親王の眞筆、お馬に乘られた木像、お召物の錦の袍など拜觀して、境内の瀟洒な庭に出た。
「朕否徳ニシテ――恐れ入つた御言葉ではないか。勿體ないことには觸れないとして、われわれの場合だつて、否徳――それ以上にも、それ以下にも、た
前へ
次へ
全26ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
嘉村 礒多 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング