た。古いことだね。」
 私はちよつとわが眼の輝きを感じた。ユキの歌が、今は悉く空想を離れ、感傷を離れた私を、刹那に若かつた日に連れかへした。同じく口吟みながらユキ自身も乙女心の無心にしばし立ち返つたかもしれないが、それらは、いづれも泡沫の如く消え去る儚いものだつた。
 だいぶん經つて、私は思ひ出して訊いた。
「で、頼朝は、どうした?」
「使の者が、駒に跨がつて、鞭を當てて、錬倉の頼朝のところへ手紙を持つて行くと、頼朝は封も切らずに引き破いて、直に召し捕れと部下のものに言ひ付けたんですつて。頼朝つて何處まで猜疑心の強い人間だつたのでせうね。あんなに、血族のものを、誰も彼も疑ぐらずにはゐられないなんて……」
 瞬間、私は、深い/\憂鬱に落ち込んで、それきり俛首《うなだ》れて默つてしまつた。
 山の麓の勾配に柵をめぐらした廣い牧場で、青草を喰んでゐるのや、太陽に向つて欠伸をしてゐるのや、寢そべつて日向ぼつこをしてゐるのや、さうした牛の群が、車窓の外に瞳を掠めて過ぎた。
「頼朝の墓が僕は見たくなつた。時間があつたら、歸りに見て行きたい。」
と、私は獨言のやうに呟いた。
 私達は目指す由比ヶ濱に
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