やありませんか。……幼い時からわれわれ兄弟はお母さんのふところに抱かれて悲しい流浪生活をし、それから皆はちり/″\ばら/\に別れ、自分は自分で鞍馬の山に隱れたり、それ/″\苦勞のすゑ、兄さんを助けて源氏再興を計り、自分は西の端まで平家を迫ひ詰めてやうやく亡ぼして、兄さんに褒めて頂かうと思つて此處まで歸つて見ると、兄さんは奸臣の言を信じて、弟を殺さうとしてゐられる、兄さん、どうぞ弟の眞心を分つて下さいつて、義經が血の涙で書いたといふんでせう。中學校の時、國語の教科書でならつた筈でせうに、あなたつて忘れつぽい人、駄目ですね。」
 と、ユキは、護良親王のところで頻りに馬鹿呼ばはりをされた意趣返しに、一氣に滔々百萬言を弄して、喰つてかゝるやうに述べ立てた。
 私はをかしくもあつたが、感心して聞いた。
 二人は、身體を捩ぢて、窓外の七里ヶ濱の高い浪を見た。帆かけ舟が一艘、早瀬の上を流れてゐた。
「七里ヶ濱ですか。ほれ中學の生徒のボートが沈没したといふのはここですね。……眞白き富士の嶺、みどりの江の島、仰ぎ見るも今は涙――わたしたちの女學生時代には大流行でしたよ。」
「なるほど、僕らも歌つた、歌つ
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