私が上から聲をかけると、ユキは鐵板の急な梯子を半分あがつたあたりで、足に痙攣が來て立ち竦《すく》んだ。ユキは、幾年も坐りづめにお針をしてゐたゝめ、この頃足に強い痲痺が來て往來で動けなくなることが屡※[#二の字点、1−2−22]だつた。
「巫山戲るな。しつかりしろ!」と、私は忌々しいやら、ひどく縁起も惡く、眉をひそめて叱つた。
 外へ出ると、何か騙されたやうで、矢鱈に腹立たしさが募つた。
「精神文化といふ奴も、唯その發生に意義があるだけで、形式に墮したら、これぐらゐ下らないことはない。長谷の大佛なんて、實に阿呆なもんだな。馬鹿にしてら。」
「早く江の島へ行きませうよ。」
 私達は氷屋の牀机に腰かけて懷から取出した地圖の上に互に指でさし示して、順路の相談をした。
「觀音樣の境内から見た海が、由比ヶ濱といふのですね。わたし、海水浴場が見たいんですの。」
「僕も見たい。江の島へ一應行つてから又引き返すことにしよう。」
 私もユキも、關東地方の海水浴場の光景を、まだ一度も見てなかつたのである。が、三十分の後二人は、人々の繁く行交ふ江の島の棧橋から片瀬の海水浴場を眺めて、この何年かの願ひがやつと叶
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