、其の小料理屋を出た時は、夜半《よなか》を余程過ぎてゐた。寄席《よせ》は疾《と》くに閉場《はね》て、狭い路次も昼間からの疲労を息《やす》めてゐるやうに、ひつそりしてゐた。
「私《わし》が六歳《むつゝ》ぐらゐの時やつたなア、死んだおばん[#「おばん」に傍点]の先に立つて、あのお多福人形の前まで走つて来ると、堅いものにガチンとどたま[#「どたま」に傍点](頭の事)打付《ぶつ》けて、痛いの痛うなかつたのて。……武士《さむらひ》の刀の先きへどたま[#「どたま」に傍点]打付けたんやもん。武士が怒りよれへんかと思うて、痛いより怖かつたのなんのて。……其の武士が笑うてよつた顔が今でも眼に見えるやうや。……丁ど刀の柄の先きへ頭が行くんやもん、それからも一遍打付けたことがあつた。」
 思ひ出した昔懐かしい話に、酔つたお文を笑はして、源太郎は人通りの疎《まば》らになつた千日前を道頓堀へ、先きに立つて歩いた。
「をツ[#「をツ」に傍点]さんも古いもんやな。芝居の舞台で見るのと違うて、二本差したほんまの武士《さむらひ》を見てやはるんやもんなア。」と、お文は笑ひ/\言つて、格別酔つた風もなく、叔父の後からくツ付
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