知れねど、手紙というものはそんなもんじゃないと思うのじゃ。同じ暑さ見舞でも種々書き様があろうがい。大変暑なったが、そちらも無事か私も息災《そくさい》に居る。暑いさかい身体を大切にせいとか何とか書いてあるじゃろうがい、それを只だ一口に暑さ見舞じゃ礼手紙じゃと言うた丈では、聞かして貰う者がそれで腹がふくれると思うかい。お前等みたいに眼の見える者なら、それで宜いかも知れねどな、こんな明盲には一々詳しく読んで聞かして呉れるもんじゃわい。」大分優しく意見する様に言った。
 恭三も最早争うまいと思つたが、
「だってお父様、こんな拝啓とか頓首とかお定《きま》り文句ばかりですもの、いくら長々と書いてあっても何にも意味《わけ》のないことばかりですから、そんなことを一々説明してもお父様には分らんと思ってあゝ言ったのですよ。悪かったら御免下さい。」
「分らんさかい聞くのじゃないか。お前はそう言うがそりゃ負惜しみというものじゃ、六かしい事は己等に分らんかも知れねど、それを一々、さあこう書いてある、あゝ言うてあると歌でも読む様にして片端から読うで聞かして呉れりゃ嬉しいのじゃ。お前が他人に頼まれた時に、それで宜い
前へ 次へ
全23ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
加能 作次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング