かせるのだった。
「ねえっ、いい子だからお前は、あすこのお師匠さんのところへ行ってることをうちに来る小父さんたちに話すんじゃないよ。それが他人《ひと》に知れるとお父さんが困るんだからね、いいかい」

 叔母の店は非常に繁昌したようである。がそれでいてすこしも儲《もう》けがなかったようである。いや儲けがあったのかしれないけれど、なにぶん父が毎日お酒を呑んだり、はな[#「はな」に傍点]をひいたりしているのだからうまく行く筈はなかったのだろう。のみならず、父と叔母とはその頃、世間の噂にのぼるようなのぼせ方であったらしい。
 それでも叔母の家はまだよかった。困っていたのは私たち母と子であった。ある日の事である。私たちは何も食べるものがなかった。夕方になっても御飯粒一つなかった。そこで母は、私と弟とをつれて父を訪ねて行った。父はお友だちの家にいた。が、母がどんなに父に会いたいといっても父は出て来なかった。
 おそらく母はもう耐《こら》えきれなかったのだろう。いきなりその家の縁側から障子をあけて座敷に上った。明るいランプの下に、四、五人の男が車座に坐って花札をひいていた。
 母は憤《いきどお》りを爆発させた。
「ふん、おおかたこんな事だろうと思ってた! うちにゃ米粒一つだってないのに、私だってこの子どもたちだって夕御飯も食べられないって始末だのに、よくもこんなにのびのびと酒を呑んだり花を引いたりしていられたもんだね……」
 父も腹立たしそうに血相を変えて立ち上った。そして母を縁から突き落とし、自分も跣足《はだし》のまま飛び降りて母になぐりかかってきた。もし居合わせた男たちが父を後ろから抱き止めて、母をすかしなだめ、父を部屋に連れ戻してくれなかったなら、憐れな母は父にどんな目に合わされたかもしれなかった。
 人々のおかげで母はなぐられなかった。その代り、米粒一つも鐚《びた》一文も与えられずに、私たちはその家をすごすごと立ち去らなければならなかった。
 悲しい思いを胸におさめながら私たちは黙々と坂道を上っていた。
「おいちょっと待て」
 父の声である。私たちは父が米代をもって来てくれたのだと思って急に明るい心になった。ところが実際はそうではなかった。何と残酷な、鬼みたような男で父はあったろう。
 立ち止まって救いを待っている私たちに近寄ると、父は大きな声でどなりたてた。
「とくの、
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